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【二十歳のころ 野村克則(2)】断食、走って登山、写経…野球の練習した覚えがない

【二十歳のころ 野村克則(2)】

断食、走って登山、写経…野球の練習した覚えがない

特集:
二十歳のころ
1991年4月、堀越高3年時の野村氏。試合中には笑顔もあったが、その裏では壮絶な日々を過ごしていた 

1991年4月、堀越高3年時の野村氏。試合中には笑顔もあったが、その裏では壮絶な日々を過ごしていた 【拡大】

 1992年に、明大に入学しました。当時の野球部は本当に厳しかった。入部前は「お客さん」扱いで先輩もやさしかったですが、正式に入部すると一変。「お客さんじゃねえぞ」という感じになりました。

 下級生は、女性とデートしては駄目、コンビニに行っては駄目、ポロシャツの下にはTシャツを着なくてはいけない、この道を通っては駄目、この階段を使っては駄目…。練習の厳しさ以外に、問答無用のルールがたくさん決まっていました。先輩に殴られたことも、何度かありました。

 両親(父・克也氏、母・沙知代さん)には電話で「大丈夫か~?」なんて軽く言われたけど、「大丈夫なわけねえだろ!」という感じでした。やめていった同級生もいた。でも、自分は耐えられた。それより前の高校時代の方が、もっと厳しかったからです。

 堀越高の監督は、桑原秀範さんでした。指導方針は「精神野球」そのもの。「結束力」や「仲間意識」、そして「精神的な強さ」といったものを大切にする方だったので、主将の私には特に厳しかった。91年、最後の夏は西東京大会準決勝で敗れるなど甲子園には出られませんでしたが、人間的な強さを鍛えられました。桑原さんとは昨年、古希のお祝いで再会。今では笑って思い出話もできますが、本当に毎日のようにボコボコにされました。現在の堀越は監督も代わり、そんなことはありませんが…。

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