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【二十歳のころ 杉下茂(3)】明大入学、1日1000球投げ続けた

【二十歳のころ 杉下茂(3)】

明大入学、1日1000球投げ続けた

特集:
二十歳のころ
杉下茂氏

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 1946年1月に復員し、出征前に勤めていた川崎市のヂーゼル自動車工業(現いすゞ自動車)に戻った。二十歳という年齢を初めて意識したのは、この頃だったかな。

 母(サクさん)に「同級生より遅れてしまったけど、大学へ行きたい」と言った。野球をやるなら東京六大学で、と考えていた。すると、友人のおやじさんが、野球部推薦という形で明大(旧制の専門部、3年制)への入学の手はずを整えてくれた。

 2月、戦前に中部日本(のちの中日)のエースだった西沢道夫さんと、旧制帝京商業学校(現帝京大高)時代のチームメートで捕手の藤原鉄之助が「うち(中部日本)へ来ないか」と誘いに来た。帝京商では右肘を痛めて一塁手だったから、野手としてのスカウトだ。母には「職業野球(のちのプロ野球)なんて、もってのほかだよ」と言われていたし、野球を自分の仕事にするなんて考えたこともなかった。

 藤原が誘いに来るたびに、「おれは明治に入るから、もう来ないでくれ」と断った。すると「(スカウトの)役目を果たせないから困る」という。後楽園球場で中部日本の試合があるときに竹内愛一監督を訪ね、「もう、テツ(藤原氏)を寄こさないでください」と頼んだよ。そのとき入団していたら「投手・杉下」はいなかった。何年か野手をやって、やめただろうね。

 明大に入学したものの、夏前まで東京・神田の家と大学との往復だけで、野球部には顔を出さなかった。この年の春に東京六大学リーグ戦が再開し、球場に見に行ったよ。慶大が優勝し、東大が2位になったシーズンだ。本当に野球がやりたかったら、すぐに野球部を訪ねたのだろうが、そうでもなかった。そのうちに学生課から「野球部へ行くように」と呼び出しがきた。

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