2017.5.18 11:00(1/3ページ)

【二十歳のころ 小林至氏(3)】規則違反承知の上、投手板の前から投げても打たれた

【二十歳のころ 小林至氏(3)】

規則違反承知の上、投手板の前から投げても打たれた

特集:
二十歳のころ
テレビ朝日系「ニュースステーション」に出演する東大4年時の小林氏(右端)。左隣の司会、久米宏と軽妙なやり取りをした (小林至氏提供)

テレビ朝日系「ニュースステーション」に出演する東大4年時の小林氏(右端)。左隣の司会、久米宏と軽妙なやり取りをした (小林至氏提供)【拡大】

 ♪Oh 終わらないサンセット… 東大に在籍していた1987年に流行した吉川晃司さんの歌を聞くと、今でも当時を思い出します。

 21歳だった2年の春から東京六大学野球リーグ戦のベンチに入ることができ、念願の神宮のマウンドにも立てるようになりました。ただ、敗戦処理ばかり。当時の東大は先発投手が崩れた時点で敗戦へ一直線でした。ベンチの先輩たちはこうした展開に慣れ、自虐的になる一方。相手の攻撃が終わらないと、「終わらないサンセット…」と口ずさむ人がいたのです。

 私はそんな雰囲気に、怒りがこみ上げていました。しかし連戦連敗。2年の秋、大量リードされた終盤に投げた明大戦は惨めでした。大雨でボールは滑るし、やっとゴロを打たせても野手は処理できない。審判が試合を終わらせようと、ストライクを広く取ってくれているのも分かり…。明大の応援団が奏でる「狙いうち」が耳につき刺さったのを覚えています。

 でも、どんな試合でも東大で投げられるのはうれしかった。慶大の大森剛(後に巨人)ら高校時代は対戦できなかった好打者を相手に、です。しかも翌日新聞に名前が載る。あれが誇りでした。「多摩高」と出身校も載るので、友人が「オレらの誇りだよ」と言ってくれるのも喜びでした。

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