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【二十歳のころ 野村克也氏(4)】母への仕送り増やせたことが一番の喜び

【二十歳のころ 野村克也氏(4)】

母への仕送り増やせたことが一番の喜び

特集:
二十歳のころ
1959年の日本シリーズを4戦4勝で制した南海は、大阪・御堂筋をパレード。オープンカーに乗った野村克也(右)と杉浦忠(左、中央は中沢パ・リーグ会長)はファンの歓声に応えた

1959年の日本シリーズを4戦4勝で制した南海は、大阪・御堂筋をパレード。オープンカーに乗った野村克也(右)と杉浦忠(左、中央は中沢パ・リーグ会長)はファンの歓声に応えた【拡大】

 初めてタイトルを手にすることができたのは、プロ4年目。1957(昭和32)年のシーズンで、22歳になっていた。30本塁打を打ち、山内和弘(一弘)さん(29本)、中西太さん(24本)らをおさえて、本塁打王になった。94打点は中西さん(100点)に及ばず2位、打率・302は5位で首位打者は・331の山内さんだった。

 2人はライバルであり、手本。打撃フォームを取り入れられないか、試してもいた。中西さんは前方への体重移動を利用して打つタイプで、私には合わなかった。山内さんが軸足(右足)をうまく回転させて、内角の球をまるで腹を切るように打ち返す打法は大いに参考になった。

 ある日、野球専門誌で中西さん、山内さんと対談した。現在のように、ライバル球団の選手どうしが仲良く食事に行ったり、技術を教えあったりする時代ではない。私は2人の技術論に興味津々だったが、どちらもほとんど語らなかったのを覚えている。

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