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【二十歳のころ 野村克也氏(2)】1年目でクビ宣告され…「南海電車に飛び込みます」

【二十歳のころ 野村克也氏(2)】

1年目でクビ宣告され…「南海電車に飛び込みます」

特集:
二十歳のころ
1958年、重盗を狙った西鉄・中西太(左)を好ブロックでアウトにした南海・野村克也。20歳で一塁にコンバートされるも、執念の復帰で名捕手に成長した

1958年、重盗を狙った西鉄・中西太(左)を好ブロックでアウトにした南海・野村克也。20歳で一塁にコンバートされるも、執念の復帰で名捕手に成長した【拡大】

 19歳から20歳にかけてのプロ2年目、1955(昭和30)年のシーズンが私にとって最もつらかった。キャッチャーミットを身につけて試合に出ることができなかったからだ。

 当時は出場選手登録のルールがなく、1年目の54年はブルペン捕手役で1軍に帯同しつつ、大差の試合で代打や途中出場の機会に恵まれた(9試合、11打席で無安打)。だがシーズン後、いったん解雇を打診された。「たった1年でクビにされたら、盛大に送り出してくれた故郷に帰れません。このまま、南海電車に飛び込みます!」。球団に泣きついてクビこそ免れたものの、代わりに捕手をクビになった…。

 「打つ方は得意なのだから、そちらに専念しろ」と、一塁手への転向をよぎなくされた。捕手として致命的なほど肩が弱かった。入団テストの遠投で、先輩が「もう少し前で投げていいぞ」と目をつぶってくれなければ、プロ入りもかなわなかった。

 足が速くもない私がプロで飯を食っていくには、捕手で行くしかないという頑固なまでの一念があった。高校時代、正捕手が高齢の球団を選んでテスト受験希望の手紙を書き送ったほどだ。当時、南海の正捕手は30歳手前の松井淳さん。3年も修行すれば、世代交代できるのでは…と考えていた。

 一方、南海の正一塁手は「100万ドルの内野陣」の一角、飯田徳治さん。51、52年の打点王で、後に野球殿堂入りも果たした。私が打撃に専念しても飯田さんに追いつけるなど、想像もできなかった。

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