2015.4.21 11:00(1/2ページ)

【私の失敗(1)】高田繁、長嶋監督に呼び出され…トレード覚悟

【私の失敗(1)】

高田繁、長嶋監督に呼び出され…トレード覚悟

特集:
私の失敗
移籍・退団
1975年オフ、多摩川グラウンドで長嶋監督(右)から打撃指導を受ける高田繁

1975年オフ、多摩川グラウンドで長嶋監督(右)から打撃指導を受ける高田繁【拡大】

 DeNA・高田繁ゼネラルマネジャー(GM、69)は巨人での現役時代、走攻守の三拍子そろった左翼手としてV9に貢献した。1976年に三塁手に転向。史上初めて、外野手と内野手の両方でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞した選手となったが、大きな挫折を経ての成功だった。

 V9から2年後の1975年。オフのある日、長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)から「家に来てくれ」と呼ばれ、東京都三鷹市の自宅から大田区田園調布の監督宅へ車を走らせた。自宅を出る前、妻の保子(やすこ)には「多分、トレードだ。試合に出るチャンスがもらえるのなら、どの球団でも行く。トレードと言われたら、すぐに『はい』と返事するからな」と話していた。

 この年、巨人は球団史上初の最下位。私はプロ8年目で最低の打率・235に終わり、シーズン終盤はベンチを温めることが多くなっていたんだ。プロで初めて味わうといっていい挫折感。だが、まだ30歳。レギュラーでやれる自信はあった。

 監督宅に着くと一度大きく息を吸い込んで、呼び鈴を押した。長嶋さんは私の目を真っすぐ見ながら、こう言ったんだ。

 「お前、三塁をやってみないか」

 驚いたよ。入団以来、監督が現役を引退する74年まで、左翼の守備位置から背中を見てきた。自分が内野手に転向するなんて、想像したことがない。「子供の頃から一度も内野手をやったことがありません。投手と外野手だけなので無理です」と答え、「他球団からほしいという話が来ていたら、トレードに出してください」と願い出た。

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