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燕・伊藤智仁コーチ、太く、短い野球人生「野村監督を恨むことなんてない」/球界ここだけの話(113)

特集:
サンスポ記者の球界ここだけの話
現役時代のヤクルト・伊藤智仁投手

現役時代のヤクルト・伊藤智仁投手【拡大】

 プロ野球史上最高のスライダーを操ったヤクルト・伊藤智仁投手(現ヤクルト投手コーチ)。真横に滑るといわれた伝家の宝刀を習得したのは、三菱自動車京都へ入社してから3年目。1991年のことだった。

 「当時は金属バットを使用していましたから詰まっても、下位打線からも本塁打が出る。アウトを取るのに安心なボールとしてスライダーを覚えました」

 当時の持ち球は直球とカーブのみで、直球の最速は140キロ未満。入社後最初の登板で3回13失点を喫したという。それがスライダーを覚えたことで直球も速くなり、入社3年目の秋には140キロ台後半を計測した。

 「握りは教えてもらいましたけど、ほぼ自分で覚えました。まあ感覚的なものですからね。曲げようという意識はなかったんですけどね」

 この急成長から91年のドラフト候補選手となったが、翌92年にバルセロナ五輪が控えていた。伊藤は日本代表の山中正竹監督(当時)から「五輪を目指してみないか」と声をかけられ、ドラフトを“凍結”。「僕も五輪が目標でしたから」。

 そして、五輪では1大会27奪三振の大会記録(ギネス記録)を作るなど日本の銅メダル獲得に貢献。92年秋のドラフト会議で、3球団競合の末にヤクルトから1位指名を受ける。

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