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【ありがとう八十年(130)】若松勉、チーム躍進の陰で広岡監督と衝突…

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レジェンドが語るプロ野球史
1978年に初優勝し、捕手の大矢明彦(左)と抱き合って号泣

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 私が2度目の首位打者に輝いた1977年、ヤクルトは球団史上初の2位に躍進した。

 来日2年目のチャーリー・マニエルが日本の野球に慣れ、42本塁打をマーク。日本ハムから移籍3年目の大杉勝男さんは打率・329、31本塁打、104打点と本来の打棒が戻り、私も打率・358、20本塁打、70打点で続いた。

 もともとヤクルトは投手力が安定していて、右の本格派・松岡弘、左の技巧派・安田猛を両輪に、右のアンダースロー・会田照夫、長身右腕・鈴木康二朗とバラエティーに富んだスタッフがそろっていた。監督は、あの広岡達朗さんだった。

 《ヤクルトは前年の76年5月に荒川博監督が成績不振を理由に休養。広岡ヘッドコーチが代行を務め、6月17日に監督に昇格した。この年は52勝68敗10分け(5位)に終わり、国鉄時代の62年から15シーズン連続負け越しとなった》

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