どうも最近、何かタマッテル!? のかもしれないが、この9日は1872年に「太陰暦から太陽暦(現在のカレンダー)に変更した日」という。
ソレを見て思わず「太陰暦」を「ダイインシン(大陰唇)」と読んでしまって、マジで思わず口をおさえた。そんなにガツガツしているとは思わないが、フロイトによると、これは『影の反乱』というヤツで潜在意識の中にソーユーのがあるらしいのだ。
まぁ虫も殺さぬ顔してハラの中で何人も“惨殺”しているどこかの日当たりのイイ席に座っているエライ人よりはいいが、太陰暦をダイイン××と間違うようではとうていアノ日当たりのイイ席には座れそうもない。
それよりちょっと日当たりの悪い席が運動部の部長席とデスク席。この日は整理部から運動部に“出戻った”デスク吉松祐が「初当番」なので早くから緊張し、電話をかけまくっている。編集総括はトドみたいな部長伊藤英慈である。
吉松は運動部ではチョット前にトラ番のサブキャップをやっていて、その時のトラ番の若手が現キャップの堀啓介で、この日は甲子園の球団事務所に陣取っていた。堀はどちらかといえば、柔和なタイプだから吉松も大いに頼りにして何かといえば電話がパンクしそうなぐらい掛けまくっていた。
それに…だ。安芸キャンプ地では鉄人28号の高瀬悟嗣が唯一のベテラン? だから臨時サブキャップ代理を命じたものの…高瀬と安藤のピヨピヨ軍団だし、当番デスクがこれまたピヨピヨで…。
そこに登場したのが元キャップのデスク大沢謙一郎。♪安芸へ安芸へと草木もなびく…と寿々木米若の浪曲じゃあるまいになんで、どいつもこいつも安芸になびく…のだろう。キットそれは会社以外だったら佐渡島でも、網走でも、喜界島でもいいのだ。
多分、それは“自由の喜び”というものなのだろう。久保コーチや久慈さん、それに山口コーチなど異口同音に「おい何しにきたんや?」ときたよ。久保さんのヒトミには言外に「そんなに会社はキュウクツなんか…」という憐憫の情が漂っていた。そうです、会社なんてストレス屋敷です。だってホラ皆様ご存知の越後屋カメムシなんかが背中越しにいつもジーッとニラんでいるわけだ。この日の吉松デスクもギンギンで「コレなら現場で走り回っている方がラクです」と本音をもらした。デスクという中間管理職なんて楽しいヤツがいたらお目にかかりたいヮ。
大沢はグラウンドで取材証を登録するのに受付にいくと何もいわないのに広報の松尾英孝氏が「あ、大沢さんですね」とニッコリしてくれた。「春の宜野座キャンプでちょっと逢っただけなのに…ボクの顔と名前をちゃんとおぼえていてくれた…。これはウチの連中にも見習わせなあきまへん。酒井清史広報部長の教育がいきとどいてるなぁ…それに比べてウチの…あ、コレは書かんといてくださいヨ!」だと。遅いわ。伊藤部長ドノ。糸の切れたタコみたいに大沢はあっちこっちで手のひらをかえしてマス。