あふれそうになる涙を必死にこらえた。華々しい思い出よりも、故障に苦しんだ日々が脳裏を駆けめぐった。清原が今季限りの引退を決意した。
「こんな(左ひざの)状態では、来年グラウンドに立てないと思う。明日、つぶれてしまうかもしれないし、いつ壊れるかわからない」
歯を食いしばりながら、昨年2度手術した左ひざをそっとなでた。復活したものはいない−。そういわれた左大腿(たい)骨関節軟骨移植手術から1年が過ぎた。単純な歩行練習から始めたリハビリ。野球をやりたいのか、野球ができるのか−。自問自答する中で心を奮い立たせたのが、自宅に飾った仰木彬氏(享年70)の遺影。「何ひとつ貢献することができずにここまできた。恩返ししたい」。巨人から戦力外通告を受けた際に拾ってくれた恩人の笑顔に決意し、復活を目指した。
先月29日。元大リーグ、パイレーツの桑田真澄氏(野球評論家)が打撃投手となって練習をしたときに限界が見えた。38球の“KK対決”。その日の夜、本屋敷コンディショニングコーチに激しいひざの痛みを訴え、病院に走った。2軍戦では腫れもしなかった患部が真っ赤に腫れ、水が通常の倍までたまっていた。
実家に帰って先祖の墓参りをする際、母・弘子さんをおんぶしながら、“引退”を告げた。面と向かって言えなかった。1985年の運命のドラフトで、「巨人を見返してやれ」と西武入りをすすめた気丈な母はなかった。静かに泣いていた。
後半戦開幕となる3日のソフトバンク戦は代打で約1年11カ月ぶりに1軍の打席に立つ。この日のフリー打撃では35スイングでサク越えなし。「清原らしい打撃ができるのか、という不安でいっぱい。ぶざまな姿をさらけ出すかもしれない。何とか、どんな形であれ、“玉砕の精神”で魂をこめて、1打席、1球を自分の野球人生の最後だと思ってやる」。球界の至宝が、最後の恩返しをする。(阿部祐亮)
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