2007年12月04日 更新
感動、星野ジャパン!ダルで決めた北京行き!アジア予選全勝1位通過

北京へ行くぞ! 勝利の瞬間、日本ナインは歓喜の輪を作って、喜びを爆発させた

気迫あふれる投球を見せたダルビッシュ。マウンドで何度も雄たけびをあげた
(北京五輪アジア予選決勝リーグ、台湾2−10日本、日本3勝、3日、台湾・台中)星野ジャパンのエースが決めた! 日本は先発したダルビッシュ有投手(21)=日本ハム=が好投し、10−2で台湾に快勝。3戦全勝で1位通過を決め、来年8月8日に開幕する北京五輪出場を決めた。正式競技となった1992年のバルセロナ大会から5大会連続の五輪出場となる日本は、正式競技となって以来、初の金メダル獲得に挑む。
(ペン・稲見誠 堀啓介 上野亮治 カメラ・浜坂達朗 浅野直哉)
◇
ヨッシャー! 敵地の大声援をかき消すように、魂の叫びを何度も発した。北京への扉を最後に開いたのは、ダルビッシュだった。クールなエースが、鬼の形相で台湾打線をねじ伏せた。
「絶対に負けられないという気持ちを持ち続けた。今の日本なら、絶対に負けない。だから、楽しんで投げられました」
勝てば五輪出場の大一番。完全アウエー状態の逆境が、闘争本能に火をつけた。一回、先頭の胡金龍に右前打を浴びた。台湾大応援団は、まるで勝ったかのようなお祭り騒ぎ。だが、「苦しんでも投げられた。今年1年で得たものが、大事な試合で出せた」と冷静にボールを投げ込んだ。
直前合宿で慣れるのに苦労した国際試合用のロージンバッグを丁寧に右手になじませ、抜け球を修正。六回二死一塁から、台湾の主砲・陳金鋒に逆転2ランを許したが、今季の沢村賞投手は慌てなかった。松坂(現レッドソックス)から受け継いだジャパンの背番号18は、7回3安打2失点で北京行きの切符をつかみ取った。
11月29日、選手宿舎の監督室。涌井、成瀬とともに星野監督に呼ばれ、登板日を告げられた。
「おまえら、若い3人に託す。(ダルビッシュは)オレを胴上げする試合で投げてもらうぞ!」
初戦のフィリピン戦で涌井が勢いをつけ、第2戦の韓国戦で成瀬が強力打線を封じた。仲間がつないだタスキを受けたアンカーは、韓国戦後、星野監督から先発を公表された。それだけ信頼は絶大だった。エースで北京五輪の切符をとる。闘将、チームメート、そして日本中の大きな期待に気迫の投球で応えた。
宮崎合宿中の11月14日のことだった。焼肉店での決起集会で、サプライズが用意されていた。女優のサエコさん(21)との結婚祝いのケーキが仲間からプレゼントされ、胸が熱くなった。
当初は「日の丸の重みとかプレッシャーを感じることはない」と淡々としていたチーム最年少21歳の右腕も、指揮官、仲間たちの五輪出場へかける思いを肌で感じ、変わった。台湾入りしてからは「勝つことだけを考えたい」と言葉や態度に代表としての自覚と責任感があふれ、移動のバスに乗り込むときも、ミーティングでも一番乗りして先輩たちを待った。
「星野監督のもとでみんなで一つになって、すごくいい野球ができた。(五輪代表に)選ばれるような成績を残したい」
イラン人の父を持つエースが、サムライとなった。星野監督と熱く抱き合うダルビッシュの瞳には、北京の空になびく日の丸が、はっきりと見えた。
■ダルビッシュ有(ゆう)
1986(昭和61)年8月16日、大阪府生まれ、21歳。東北高では2年春から4季連続で甲子園に出場(2年夏に準優勝)。05年ドラフト1巡目で日本ハム入団。今季は26試合に登板し、15勝5敗0S、防御率1.82。パ・リーグ2連覇に貢献し、MVPと沢村賞などを獲得。11月には女優サエコと入籍した。通算成績は65試合、32勝15敗0S、防御率2.53。1メートル95、85キロ。右投げ右打ち。今季年俸7200万円。
■データBOX
(1)日本のプロ選手が参加した国際大会での台湾戦はこの日で8勝2敗1分けとなった。五輪での試合(予選を含む)に限れば5戦5勝。
(2)日本代表は3試合で合計40安打を放ち、長打は7本(4二塁打、1三塁打、2本塁打)で全安打数の17.5%。03年のアテネ五輪アジア予選の3試合では合計39安打で長打は12本(11二塁打、1三塁打)、全安打数の30.8%。今予選は“スモールベースボール”で突破した。
■北京五輪
第29回夏季五輪として2008年8月8日に開幕。アジアでの夏季五輪開催は、1964年東京、88年ソウル以来5大会、20年ぶり3度目。8月24日の閉会式までサッカー(6日開幕)、競泳、体操、柔道、陸上など28競技302種目がメーン競技場の国家体育場を含む37会場で行われる。野球競技は13日から24日まで。









◆ダルビッシュをリードした里崎(ロッテ)
「(六回の被弾は)ツーシームが甘く入ったのを、見逃してくれなかった。ストライク、ボールがはっきりしていた」