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王JAPANこぼれた準決切符…それでも信じる「吉報を待ちます」

王監督

絶望的な状況で、会見に応じた王監督もさすがに生気を失った=撮影・原田史郎

(WBC・2次リーグ1組、日本1−2韓国、15日=日本時間16日、エンゼルスタジアム=大沢謙一郎)これで夢はついえてしまうのか。韓国戦に敗れた日本・王貞治監督(65)は「相手の執念が上回った」と率直に完敗を認めた。アテネ五輪でジャパンを率いた長嶋茂雄氏(70)=巨人軍終身名誉監督=の無念を晴らすべく乗り込んだ米国で、まさかの1勝2敗。準決勝進出にわずかに可能性を残すとはいえ、言葉にはむなしさが漂った。

大きな目をカッと見開いた。落ち込みがちな選手らの気持ちを最後まで切らさないよう、王監督はただ1人、ベンチで激しく両手をたたいた。

まだ終わったわけではない。韓国との再戦はまたも1点差の惜敗。自力での準決勝進出は断たれたが、決して戦う姿勢を崩そうとはしなかった。

「こちらの執念を相手の執念が上回ったと考えざるをえない。自分の手ではつかめないものですが、3度目は(18日の準決勝で)ぜひ勝ちたい。あした1日、吉報を待ちます」。王監督は試合後の会見で、わずかな可能性に望みを託したが、言葉にはどうしようもないむなしさが漂った。

勝たなくてはならない試合だった。しかし、試合展開は無情だ。二回の先制機には岩村が本塁で憤死。八回には今江が中堅からの送球を落球、直後に決勝打を浴びた。

敗因を挙げればキリがない。「3、4、5番に本塁打がなく破壊力を発揮できなかった」と王監督。選手の人選については「出られる状態の選手で最高のメンバー」としたが、大会前に王監督自らヤンキース松井秀の説得を強いられるなど、挙国一致の韓国とは明らかに差があった。

最後まで言い訳をしなかった王監督が、そっと電話を手にしたのは2次リーグ初戦の米国戦に世紀の“誤審”で敗れた直後。まな娘の理恵さんの携帯電話の番号を押していた。とりとめもない会話。少しだけ、心が安らいだような気がした。

米国に向かう際、周囲に披露した日の丸のピンバッジ。病に倒れアテネ五輪に出場できなかった盟友・長嶋茂雄氏から預かった“お守り”は、長嶋ジャパンから王ジャパンへと受け継がれる熱き思いそのもの。しかし、勝利の女神はなおも、ONという偉大な2人に過酷な試練を課した。

1勝2敗で2次リーグを終了した日本代表。敗退が決まれば、17日には帰国の途に就く。運命を他人の手に預けるむなしさをそっと胸にしまいこみ、世界の王はアナハイムを後にした。

今江

金城からの好返球でタッチアウトかと思われたが、今江がボールをこぼし判定はセーフ=AP

★今江が痛恨の落球

今江が痛恨の落球だ。二回の走塁で右太もも裏側を傷めた岩村に代わり三塁手で途中出場。両軍無得点の八回、ヘッドスライディングしてきた一走・金敏宰内野手(33)と交錯し、中堅・金城からの好送球を落としてセーフにしてしまった。直後に決勝の2点適時打を李が放っただけに「……」と試合後は無言で引き揚げた。

★岩村が右もも裏を痛め交代

これが悪夢の“序章”だったのか…。1次リーグからの5試合で打率.353と好調だった岩村が、二回の走塁で右もも裏を痛め交代した。二死二塁から里崎の右前打で本塁に突入したが憤死。直後の守備から今江と代わった。「三塁を回ったときに(体勢を崩して)グギッとなった。肉離れじゃないと思うけど、プレーを続けられなかった。準決勝に進むと信じて治したい」。病院には行かずに、アイシングなどで様子をみる。

★責任を背負い込む松中

左足甲の打撲を押して出場した松中は4打数2安打ながら、六回二死一、二塁の好機に二ゴロ。試合後は「今回は個人でなく、勝った負けただけで評価されるものだと思っていた。韓国に負けても準決勝にいけるなんて考えていない」と唇を震わせた。大会を通じて打率.409と打ったが、本塁打はなく、チームも2次リーグ敗退が濃厚。国際大会の厳しさを知る主砲だけに責任を背負い込んでいた。

★多村また最後に三振

多村が2次リーグで2度の屈辱を味わった。12日の米国戦では九回二死満塁で三振。この日は九回二死一塁で三振。一打出れば…の場面で、最後の打者となってしまった。「勝ちたかったけど…。同点に追いつこうという気持ちよりは、後ろにつなぐ気持ちだった」と肩を落とした。

◆3打数無安打1三振に終わった日本・小笠原

「もう1度対戦できることを願って、気持ちを切らさずにいきたい」

◆九回一死一塁で代打で三振の日本・新井

「準備はしっかりしていましたけど…」

■今後の予定

2次リーグ全3試合を終えた日本代表は16日(日本時間17日)、準決勝と決勝の開催地カリフォルニア州サンディエゴにバスで移動する。全体練習は行わない予定。米国がメキシコを下して日本の2次リーグ敗退が決まれば記者会見を開き、翌17日朝のチャーター便でサンディエゴから帰国する。