2008年04月02日 更新
“ケンカ投法”復活!聖望学園・大塚が快投11K


二回、聖望学園は小名木の中前打で二走・江藤(左)が生還。右手前は次打者の城戸、捕手は児玉
(第80回センバツ高校野球大会、第11日、準々決勝、平安0−8聖望学園、1日、甲子園)準々決勝2試合を行い、聖望学園(埼玉)はエース大塚椋司投手(3年)=写真=が平安(京都)を8回2/3まで2安打に抑え、8−0で大勝。千葉経大付(千葉)は長野日大(長野)に7点リードを追いつかれながら、延長十一回、8−7でサヨナラ勝ち。ともに初の4強入りを決めた。3日に大会5度目の関東勢同士の準決勝対決となる。2日は東洋大姫路(兵庫)−智弁和歌山(和歌山)、天理(奈良)−沖縄尚学(沖縄)の準々決勝残り2試合を行う。
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この日がエープリルフールでも、8−0で完勝した強さはホンモノだ。九回二死で、マウンドを石田に譲って一塁に入った大塚が、最後の打者のゴロを取ってベースを踏み、ゲームセット。投打で伝統校の平安を圧倒し、春夏を通じて初の4強入りを果たした。
「ここまでこられるとは予想してなかった。これまでの3試合で一番、調子がよかったです。打たれる気がしなかった」
大塚の笑みが弾ける。“ケンカ投法”が復活した。過去2試合は「怖くて投げられなかった」という内角球が決まる。五回まで毎回10奪三振の完全試合ペース。結局、2安打無失点&11奪三振の快投を演じた。
チームリーダーの大塚も、中学時代所属した瑞穂シニアの小林貞利総監督は「昔はいい加減なヤツで、いうことを聞かなかった。ミーティングでは隅っこに隠れて、話を聞かないこともあった」と明かす。小学5年のとき、父・明世さん(享年53)が他界。女手一つで育ててくれた母・成美さん(45)への感謝の気持ちから、高校に入って人が変わった。
今では練習に一番乗りしてランニングを行い、納得いくまで投げ込む。練習がきつくて辞めたいと漏らす仲間の話し相手となる。「大塚のワンマンチーム」といわれるが、そのリーダーシップは周囲の誰もが認めるところとなった。
「挑戦者の気持ちで一戦必勝したい」と大塚。優勝まであと2勝だ。
(近藤安弘)
★大塚の“師匠”小林監督「甲子園に出すために育てた」
一塁側アルプスから、教え子の活躍を目を細めて見つめたのは、大塚や原茂を育てた埼玉・瑞穂シニアの小林貞利総監督(71)だ。勝利を見届け、「甲子園に出すために育てた。活躍するのは当たり前です」と自信満々の様子。3日の千葉経大付戦も「応援に来ます」と気合十分だった。
★驚異の1番打者!“左殺し”江藤が4打点大暴れ
江藤が二、三回にいずれも二死から貴重な適時打を放ち、序盤の大量点を呼び込んだ。二回の第2打席は満塁から左前へ先制打。続く三回には右越えの2点三塁打でダメ押しした。5人の左打者が並ぶ打線の1番打者として、左腕2人を攻略して4打点の活躍。「左投手がきたら聖望は打てないと言われてきたが、そんなことはない」と誇らしげだった。
◆大塚の投球を受けた聖望学園・原茂
「内角の直球が走っていて、カットボールの切れも良かった。今までの3試合の中で一番いい投球だった」
◆三回に適時打を放った聖望学園・高山
「前の打者が三振だったので、相手に波がいかないようにどうにか打ちたいという気持ちだった」
◆母校・聖望学園の勝利に阪神・鳥谷
「強いですね。(テレビで)見ていましたよ!」

「平安」が甲子園に別れを告げた。敗れたナインは、手を合わせてグラウンドを去った=撮影・彦野公太朗
★「平安」が100年の歴史に幕…4月1日で校名変更
川口が2回持たずに4失点で降板しての完敗。エースは「体の開きが早かった。コントロールが全然」とうつむいた。4月1日で校名が「龍谷大平安」になった。1908(明治41)年創部で春は全国最多の36度出場、夏は29度出場で3度の優勝の「平安」は、紫紺のセンバツ優勝旗に手が届かないまま、甲子園の舞台から消える。OBの原田監督は「100年の歴史の最後を甲子園で終われたのが何より」と涙で声を詰まらせた。
◆平安・山口主将
「『平安』という名前で1日でも長く試合をしたかった。(校名が変わっても)新しい伝統をつくれたらいい」









◆聖望学園・岡本監督
「甲子園に来て選手がうまくなっている。伸びてきているのを感じる。大塚は、今大会最高のデキ。80−90点」