2008年01月26日 更新

第80回センバツ高校野球大会

【高校】力道山の孫・田村が甲子園で叫ぶ!慶応3年ぶり春出場

センバツ出場が決まり、大喜びの田村(中央)ら慶応ナイン(撮影・江角和宏)

センバツ出場が決まり、大喜びの田村(中央)ら慶応ナイン(撮影・江角和宏)

力道山譲り?の豪快なフォームが持ち味の田村。目標はセンバツVだ

力道山譲り?の豪快なフォームが持ち味の田村。目標はセンバツVだ

 力道山の孫が甲子園で雄たけびだ!! 第80回選抜高校野球大会(3月22日開幕、甲子園)の出場36校を決める選考委員会が25日、大阪市内で開かれ、昭和の大ヒーロー・力道山を祖父に持つ田村圭投手(2年)を擁する慶応(神奈川)が、3年ぶり7度目の出場を決めた。慶応義塾創立150周年に花を添え、ガッツポーズと雄たけびがトレードマークの左腕は、センバツ初Vを目標に掲げた。組み合わせ抽選会は3月14日に行われる。

 若き血の中の格闘家DNAが騒いだ。午後3時21分に主催者から出場決定の電話連絡を受けた慶応の大野義夫校長(61)が、横浜市内の高校内で待機する83人の部員に“甲子園切符獲得”を告げると、学生服姿の田村の顔が上気した。

 「すごく実感がわいてきた。気合が入ってきました」

 『気合』こそ、1メートル86、80キロの大型左腕を表すキーワードだ。マウンドでは闘志むき出し。投球時にスタンドまでとどろく「ウオリャーッ!」の雄たけび、打者を打ち取ると派手なガッツポーズが飛び出す。母・浩美さん(43)の父は戦後日本の大ヒーローだったプロレスラー・力道山。つまり田村の祖父だ。今月3日には家族で池上本門寺へ墓参し「気合をもらってきました」と胸を張った。

 昨夏は2年生ながら背番号「1」で、神奈川大会4強。その後、右ひざを痛めた影響で秋は10番だったが、同学年の右腕・只野尚彦と2人でマウンドを守り、関東大会準優勝に導いた。

 今年は福沢諭吉が慶応義塾を創設して150周年、高校開設から60年という節目の年。「これも巡り合わせ。どうせだったら、大きいことをしたい」と目標はズバリ、05年春に同じ左腕の中林伸陽(現慶大2年)を擁しての8強を超えるセンバツ初優勝。自身初の甲子園へ、ひざ痛が癒えた冬は走り込みの量を増やし「奪三振、完封…記録を残して期待に応えたい」と意気込みも新ただ。

 上田誠監督(50)も「3年前の甲子園は闇の中でしたが、今回はもやの中ぐらい(笑)。秋は横浜に(県大会決勝、関東大会決勝と)2度負けているからね。センバツも当たるなら決勝。みんなで喜びを分かち合いたい」とリベンジの機会をうかがう。

 「力道山ではなく、慶応の田村といわれるように。おじいさんに少しでも近づきたいです」。そんな田村の思いがかなうとき、陸の王者は紫紺の大旗に手が届く。

(田中浩)


■田村 圭(たむら・けい)

 1990(平成2)年8月10日、横浜市生まれ、17歳。間門小1年で野球を始め、本牧中2年時に「中本牧シニア」で控え投手として日本一。3年時はエースでジャイアンツカップ3位。昨秋は背番号「10」だったが、公式戦46回1/3を投げ自責点8、防御率1.55。直球はMAX143キロ。家族は両親と姉。1メートル86、80キロ。左投げ左打ち。

空手チョップで日本中を熱狂させた力道山(右)。今度は孫が投球でわかせる

空手チョップで日本中を熱狂させた力道山(右)。今度は孫が投球でわかせる

■力道山

 本名・百田光浩(ももた・みつひろ)。1924年11月14日生まれ。40年に大相撲の二所ノ関部屋に入門し、同年5月初土俵。関脇まで昇進したが、50年9月に廃業し、54年に日本プロレスを旗揚げ。同年2月にはシャープ兄弟と世界タッグチーム・チャンピオン・マッチを開催。空手チョップで外国人選手を倒す姿はテレビ時代の到来と重なり、一大プロレスブームを巻き起こした。
 ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら、後の日本プロレス界を背負う選手を育て「日本プロレスの父」とも呼ばれている。63年12月、赤坂のナイトクラブで暴漢に刺され、その傷がもとで1週間後に死去。享年39。1メートル76、116キロ。


■慶応高校(けいおうこうこう)

 1858年創立の慶応義塾の一貫校で、1948年の学制改革により高等学校として開設され、49年に現校名に改称。普通科のみの私立男子校で生徒数は2228人。野球部創部は1888年で部員数は83人。3年ぶり7度目(夏は16度)。主なOBは佐藤友亮(西武)、石坂浩二(俳優)。所在地は横浜市港北区日吉4の1の2。大野義夫校長。

◆慶応の主将、山崎錬内野手

「甲子園出場で満足するのではなく、1回でも多く塾歌を歌って、最終的には日本一を狙いたい」