2007年08月13日 更新

2007年 第89回全国高校野球選手権大会

青森山田・石井、気合の7Kで強豪・報徳学園撃破!

リベンジを果たした。青森山田の石井が中学時代の借りを返した(撮影・倉掛優一)

リベンジを果たした。青森山田の石井が中学時代の借りを返した(撮影・倉掛優一)

 (第89回全国高校野球選手権大会、第5日、1回戦、青森山田5−0報徳学園、12日、甲子園)4年連続出場の青森山田(青森)は、石井裕大投手(3年)が報徳学園(兵庫)に8安打を浴びながらも5−0完封。兵庫・西宮市生まれの“エースで4番”が故郷に錦を飾った。

 どんなもんだ!! 最後の打者を三振に取ると歓喜のジャンプだ。西宮市出身の石井が、青森から真夏の甲子園にがい旋。報徳学園・近田に見せつけるように、7奪三振で無四球完封ショーだ。

 「絶対、先制点はやれんと思ってました。(学年が)1コ下(の近田)には負けられんと、攻めの気持ちでいきました」

 一回からアクセル全開だった。低めに集めたスライダーとシンカーで内野ゴロを量産。四回まで1人の走者も許さなかった。五回の二死一、三塁のピンチも8番・近田を三飛に抑え無失点。スコアボードに0を並べた。

 打っても、1点リードの七回二死二、三塁で「何でもええから振ったろ」と、代わったばかりの福島の初球をたたき左前打。自ら貴重な2点タイムリーを放った。

 石井にとって近田は因縁の相手。高須中2年秋の新人大会で対戦し、近田にサヨナラ安打を打たれて敗れた。中学3年の12月に青森山田中に転校した石井にとって、初めて訪れたリベンジのチャンス。すでに開会式で近田を見つけ出し「絶対負けへんからな」と“宣戦布告”していた。

 その言葉通り、ついに過去を清算したエース。「(これからは)どこが相手かは関係ない。焦らず、急がず、あきらめずに1つ1つ大事に戦うだけです」。2回戦、福島・聖光学院との“みちのく対決”に目を向けた。

(星直樹)

★その時

 石井の母・そのえさん(45)=写真左=と父・正明さん(48)=同右=は一塁側アルプス席から息子を見守った。一回から快調な投球に、そのえさんは「地元に帰ってきたという感じですから、緊張もないのでしょう」と満面の笑み。完封勝利にも「0点で来られるなんて夢にも思いませんでした」と感激しきっていた。

【名言&迷言・夏】

◆無四球完封の石井をほめる青森山田・宮里捕手

「本当に勝負強いヤツですね。トランプでも、アイツの右か左にババがいくんです」

■石井裕大(いしい・ゆうだい)

 1989(平成元)年6月13日、兵庫・西宮市生まれ、18歳。高須西小2年の時「武庫川イーグルス」で投手として野球を始める。高須中では「甲子園シニア」に所属し、2年夏に全国大会出場。3年12月に青森山田中に転校。青森山田高では2年夏からベンチ入りし、2年秋からエース。1メートル77、70キロ。右投げ右打ち。家族は両親と姉、兄。

★報徳学園・近田は両脚けいれんで降板

 エース近田は六回まで1点に抑えていたが、七回途中に両脚がけいれんして、マウンドを降りた。「あの回に突然、痛みがきた。原因は自分でも分からない」と涙があふれて、言葉が続かなかった。今春のセンバツに続く初戦敗退。力を出し切れなかった2年生左腕は「先輩にすみませんという気持ちしかない」とむせび泣いた。

◆六回に三塁をオーバーランする走塁ミスを犯した報徳学園・長田

「打球がレフトに抜けたと思った。チャンスだったのに…」

◆報徳学園・永田監督

「一番悪い形。打てなかった。(相手の)打線が良いというよりも近田が悪かった」

【記録メモ】

▽無失策試合 1回戦の青森山田−報徳学園で記録。今大会2度目。