2007年08月10日 更新

2007年 第89回全国高校野球選手権大会

智弁学園が猛打12点炸裂!関本3ラン2発大活躍

関本は八回にこの日2本目の3ラン。高校通算2発の男が甲子園で大ブレーク(撮影・吉沢良太)

関本は八回にこの日2本目の3ラン。高校通算2発の男が甲子園で大ブレーク(撮影・吉沢良太)

 (第89回全国高校野球選手権大会、第2日、1回戦、尽誠学園2−12智弁学園、9日、甲子園)4試合が行われ、第4試合では智弁学園(奈良)の関本知矢左翼手(3年)が3ラン2発6打点の大活躍。尽誠学園(香川)に12−2で大勝した。

 バットを振ると痛みが残る。それでも関本は苦手の変化球を狙い、恩師に教えられた通り、強く振り抜いた。

 五回一死一、二塁で、スライダーを迷いなく振り抜くと打球は中堅左に。八回にもカーブを左翼に3ラン。3ラン2発で6打点の大暴れだ。

 「ぼくの魅力は長打力。当たったら飛びますよ」。通算2発だった男は、一気に本塁打数を倍増させて胸を張った。

 昨秋に右ひじの靱帯(じんたい)を断裂。今春から復帰したが、今もテーピングを巻いている。「痛みはたまにある。冬場は皆と同じメニューができないぶん、走り込みました」

 05年12月に46歳で他界した上村恭生前監督からはいつも「強く振れ」と教えられた。大会前「一つ勝って報告に来ます」と墓前で誓った約束を自らのバットで守った。

 次は、兄弟校の智弁和歌山をねじ伏せた豪腕佐藤(仙台育英)が相手。

 「(智弁和歌山が)敗れて、今度はオレらがやってやろう、と誓いました。直球を打ちたい」

 手負いの長距離砲が金星を狙っている。

■関本 知矢(せきもと・ともや)

 1989(平成元)年10月29日、奈良・大和高田市生まれ、17歳。陵西小3年から陵西フレンズで投手兼左翼手として野球を始め、6年時に県大会準V。高田西中では橿原コンドルに所属し、左翼手として3年春に全国大会出場。智弁学園高では1年春からベンチ入りし、2年秋から背番号「7」。50メートル6秒3。遠投85メートル。家族は両親と姉。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

★亡き前監督の長男が代打出場

 同校で春夏合わせて8度の甲子園出場を果たし、2005年12月に死去した上村前監督の妻佳代さんが遺影を抱えてスタンドから声援を送った。3年生は上村監督が亡くなった年の4月に入学した最後の教え子。佳代さんは「そんな子たちに甲子園に連れてきてもらえるなんて」と感慨深げだった。長男の智弁学園・上村恭一は代打で七回に登場し、空振り三振。チームは大勝したが「父にも、支えてくれた周りの人にも打ったところを見せたかった」と悔しがった。

◆次は智弁和歌山を破った仙台育英と対戦することになった智弁学園・佐藤主将

「智弁対決をしたかった。智弁は和歌山の方が有名だけど、次に勝って奈良の強さを見せたい」

★尽誠学園4失策で大敗

 尽誠学園は、守備の乱れが大敗につながった。香川大会では5試合で3失策と堅守を誇ったが、この試合だけで4失策。下山監督は「完全に力負け。相手が強いと意識して大事に守ってしまった」。甲子園初采配(さいはい)はほろ苦いものとなった。4日の甲子園練習で岡嶋コーチが体調不良を訴え、現在もくも膜下出血で入院中。下山監督は「みんな岡嶋先生のために、という気持ちでプレーしたと思う」と勝利を届けられず、残念そうに話した。