2007年03月28日 更新
都城泉ケ丘が初戦突破!そのまんま知事「旋風だ」

甲子園初勝利。笑顔で応援団のもとへ走る都城泉ケ丘ナイン(撮影・彦野公太朗)

宮崎県庁でテレビ観戦した東国原知事は、七回の先制点に思わず「セーフ!」のポーズ
(第79回選抜高校野球大会、第5日、1回戦、都城泉ケ丘2−0桐生一、27日、甲子園)東国原英夫(そのまんま東)宮崎県知事(49)の母校で、21世紀枠で甲子園初出場の都城泉ケ丘(宮崎)が、桐生一(群馬)に2−0の完封勝ち。同枠4校目の勝利を飾った。初出場の創造学園大付(長野)も旭川南(北海道)に1−0で勝利。昨秋の明治神宮大会優勝の高知(高知)は関西(岡山)に2−4で逆転負けし、初戦で姿を消した。
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快感が体中を突き抜けた。エースの左腕・諏訪は最後の打者を投ゴロにを打ち取ると、グラブをたたいて飛び上がる。初陣の公立進学校が、99年夏の全国制覇した強豪を撃破した。
「校歌は最高でした。ベンチでも『今日は調子がよすぎる』って、言っていたんです」と諏訪。直球のMAXは130キロに届かないが、2種類のスライダーとカーブを巧みに使い、許した安打はわずか2本。01年から始まった21世紀枠の出場校(14校)の完封勝ちは、初の快挙だ。
同校OBの東国原英夫宮崎県知事が25日、宿舎に訪れた。就寝までの短い自由時間を勉強にあてるナインに「僕は高校時代、勉強しなかった。君たち、優秀だね」と冗談を飛ばして激励した。
またその日、観戦のため甲子園に行く道中、バスのエンジンから煙が吹き出した。大事には至らなかったが、思わぬハプニングにも佐々木監督は「バスに火がついたから、打線にも火がつく」と超プラス思考。東国原知事、佐々木監督の前向きで明るい発言が、ナインの肩の力を抜いた。
進学率は90%を超え、昨年度200人以上の国公立大合格者を輩出した進学校は、午前7時40分には課外授業が始まる。練習時間は放課後の約2時間に限られるが、グラウンドの最大8カ所で行う徹底したバント練習は“伝統”として続けている。チーム打率は出場32校中最下位の.241。コツコツ磨いた技が、勝利に導く2本のスクイズにつながった。
「いろんな激励をいただいた。ちょっとでも恩返しできてよかった」と佐々木監督。2月末、東国原知事から「IMPOSSIBLE IS NOTHING(不可能なことはない)」と書いたボールを贈られた。やればできる。大舞台で快挙を成し遂げた宮崎っ子に、旋風の予感が漂う。
(林健太郎)
■その時
東国原英夫知事は宮崎県庁の知事室で多忙なスケジュールの合間を縫ってテレビ観戦。甲子園で躍動したナインに自身の初当選をダブらせ「旋風ですね。しがらみのない『無党派野球』を確立してほしい」と得意のフレーズで絶賛した。2−0の快勝に「選手がリラックスして、楽しんでいた」と勝因分析。「波に乗るかもしれない。決勝は(優勝候補の)大阪桐蔭とやってほしい」と後輩たちのさらなる躍進を期待していた。
■都城泉ケ丘
1899年(明治32年)に都城中として創立。1948年(昭和23年)から現校名となる。生徒数943人(女子439人)の県立共学校。県内有数の進学校で、昨年度は200人以上の国公立大合格者を輩出した。野球部創部は1900年(明治33年)。昨秋県大会で初優勝。所在地は宮崎県都城市妻ケ町27の15。下高原信義校長。主なOBは東国原知事のほか、元通産相の故山中貞則氏、作曲家の故中山大三郎氏。
■21世紀枠
第73回大会(01年)から導入されたセンバツの特別枠。秋季都道府県大会ベスト8以上(参加校数が128校以上の9都道府県はベスト16以上)で、部員不足や過疎などの困難な条件を克服したり、他校の模範になるなど、戦力以外の特色を加味して選ぶ。第73回大会の宜野座(沖縄)のベスト4が同枠出場の最高成績。
★まさかの2安打…桐生一・福田監督ガックリ
打線がわずか2安打に封じられた福田監督は「ここまで完ぺきに抑え込まれるとは…」と苦笑まじりに肩を落とした。3点勝負を予想していたが、「ウチが点を取れなかった。諏訪くんは緩急をつけた丁寧な投球で、チャンスらしいチャンスもなかった」と、凡打の山に首をかしげるばかり。スクイズで2失点の藤岡は「少し警戒が足りなかった」と悔しそうだった。









◆アルプス席で応援した都城泉ケ丘OBのJRA・橋口弘次郎調教師
「こんなに手をたたいたのは生まれて初めて。甲子園で校歌を聞けて感激の連続です」