駒苫Vs早実、死闘15回ドロー!37年ぶり決勝再試合
2006年8月20日、午後4時38分。再び歴史が作られた。37年ぶりの決勝戦引き分け再試合。早実(左)、駒大苫小牧(右)のナインがホームプレートに並んだ=撮影・安部光翁
1969年8月18日、午後5時16分。歴史は生まれた。史上初の決勝戦引き分け再試合。スコアボードもスタンド上の広告も今とは大きく違っていた
(第88回全国高校野球選手権大会、第15日、決勝、駒大苫小牧1−1早実=延長十五回規定により引き分け再試合、20日、甲子園)世紀の鉄腕対決に日本列島が震えた。駒大苫小牧(南北海道)と早実(西東京)の決勝戦は、1−1で規定により延長十五回引き分け。21日、1969年の松山商(愛媛)−三沢(青森)の延長十八回(0−0)以来、37年ぶり2度目の決勝戦引き分け再試合となった。先発した早実・斎藤佑樹投手(3年)が15回を7安打1失点、178球の熱投を見せれば、三回途中から登板した駒大苫小牧・田中将大投手(3年)も7安打1失点(自責0)と気合の165球。駒大苫小牧は73年ぶりの3連覇、早実は初の夏Vをかけて、再び激突する。
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田中(上)の気合が斎藤(下)のガッツポーズが聖地を揺らした(撮影・浜中達朗)。鉄腕競演。世紀の再戦を列島が見守る
鳴りやまない大きな拍手。そしてスタンディングオベーション。聖地が両チームをやさしく包む。勝てなかった。しかし、負けもしなかった。死力を尽くした3時間37分だった。
深紅の優勝旗をはさんで、2人の鉄腕が対峙(たいじ)した。延長十五回。激闘を締めくくる打球が遊撃手のグラブに収まるのを見届けると、駒大苫小牧の田中は右腕で汗をぬぐった。
「投げているときに疲労は感じませんでした。延長に入った時点で十五回まで行くと思いました」。0−0の三回一死一、二塁から登板して165球。雄たけびをあげ続けた。八回に中犠飛で同点に追いつかれたが、7安打10奪三振で1失点(自責0)に抑えた。
世代NO・1投手を相手に、早実の斎藤は笑みさえ浮かべた。3連投の疲れも見せず、15回を被安打7、八回に浴びたソロ本塁打のみに封じた。こちらの“フィニッシュ”も4番打者。本間篤から178球目のフォークで16個目の三振を奪った。
斎藤は今大会6試合で830球の熱投。この日の16奪三振で通算「65」になった。あの松坂大輔(横浜高)が延長十七回の死闘をくぐり抜けて優勝した98年夏の同「54」(6試合)を上回った。まさに“怪物超え”の快投だ。甲子園のニューアイドルは「きょうで終わるはずの高校野球をもう一度できることがうれしい」と声を弾ませた。
列島が感動に震えた世紀の一戦。この日、甲子園に“先駆者”がいた。
決勝戦の引き分け再試合は69年の松山商Vs三沢以来、37年ぶり2度目。当時の松山商のエース・井上明さん(55)=朝日新聞スポーツ部記者=は「当時は木製バットの時代。ずっとゼロが続いていました。この2人がぶつかったからこそ、こういう試合になったのでしょう」と球児のような笑顔をみせた。
スタンドでは母が泣いていた。「“あす頑張って”なんて言えない。でもあの子はあきらめないと思います」。斎藤の母・しづ子さん(46)は涙を浮かべて話した。
田中はいった。「(21日の先発は)監督にいけといわれれば、投げる準備はできています」。斎藤も負けていない。「あすも投げるつもり。制球に気をつければ絶対0点に抑えられる」。
兵庫・西宮市内の宿舎に戻った斎藤は、夕食でステーキや焼き鳥などをペロリと平らげた。その後は決勝戦のビデオを見ながらナインと談笑。決戦に備えた。
北の怪物と東京のヒーロー。それぞれに友と笑った。“あす”を語りあった。興奮を静めた夜が明けた。さあ、鉄腕対決再び。斎藤か、田中か。深紅の大優勝旗をつかむのは1人だ。
(吉村大佑)
■引き分け再試合
春夏の甲子園大会では、1958年夏の第40回大会から延長十八回引き分け再試合規定が設けられ、この大会の準々決勝、徳島商(徳島)−魚津(富山)が第1号となった。69年の第51回大会決勝では松山商(愛媛)−三沢(青森)が再試合。2000年春から延長十五回打ち切りに規定が変更された。夏の大会での引き分け再試合は今回4度目で、決勝では2度目。
◆駒大苫小牧・香田誉士史監督(35)
「いい試合ができてうれしく思うし、ほっとする。生徒にもこんな試合は経験できないぞ、と声を掛けていた。田中はベンチに戻るたびケツをたたいていた。よく粘って投げてくれた。あしたもいい顔をして、精いっぱいやってもらいたい」
◆第51回大会決勝で三沢のエースとして投げ抜いた太田幸司氏
「(自分の時は)疲れたとは思わなかったが、試合後には次の日のことを考えられなかった。食事も取れずに、水分ばかりを取った。当日になって観客を見たら、体が動いた。両チームには頑張ってほしい」
■夏の甲子園・史上初の決勝戦引き分け再試合VTR
1969(昭和44)年8月18日、松山商(愛媛)と三沢(青森)の決勝戦は、松山商・井上と三沢・太田が投手戦を展開し、両チーム無得点のまま延長戦に突入。三沢は十五回、十六回と一死満塁の好機をつかんだが決勝点をあげることできず、井上は232球、三沢太田も262球を投げ抜き0−0のまま、延長十八回史上初の決勝戦引き分け再試合となった。
松山商・井上は「十五回は“自分のためにチームが負けてはいけない”と思いました」。三沢・太田は「はじめから点を取られる気がしなかった」と振り返った。翌19日の再試合は、継投策に出た松山商が4−2で三沢を下した。太田は2日で計383球を投げた。
★王監督「胃がもう一つ取られるような気持ち」
早実OBで、胃がんの手術を受け都内の病院に再入院中のソフトバンク・王貞治監督(66)は、母校の激闘を病室でテレビ観戦。最後まで声援を送り続けた。
「両チームとも死力を尽くし、夏の決勝戦にふさわしい球史に残るいい試合。両校とも見事でした」と球団広報を通してたたえた。
また、同校の野球部OBで同級生の中田義彦さん(65)は、携帯電話で結果を報告。王監督は「胃がもう一つ取られるような気持ちで観戦していた」と話したという。
21日の再試合に向けて「疲れを乗り越え、全力を挙げて戦ってください」とエールを送った王監督。この日は、午前中に近隣を1時間ほど散歩。今週中にも退院する予定だが、歴史を切り開いた大先輩は、ベッドの上で吉報を待つ。
★荒木「本当に頼もしいエース」
母校の死闘に、26年前の準優勝投手も大興奮した。西武・荒木大輔投手コーチ(42)はこの日のソフトバンク戦前、ロッカールームのテレビで後輩の戦いを見守った。
午後5時開始の試合の準備で延長十五回裏は見られなかったが、終盤でも威力を増す斎藤の投球に脱帽。「連投で疲れていると思っていましたが、鋭いスライダーにフォークもいい。延長に入っても勝負どころでは(直球は)140キロ台後半が出ていましたし、本当に頼もしいエースですね」とたたえた。
21日はチームが休養日のため、自宅で応援するという。再試合に臨む後輩に「疲れているでしょうが、3年生は公式戦がもう1試合できると思って気持ちを切り替え、頑張ってください」とエールを送った。
★駒苫“勝利の女神”橋本議員熱きエール「頑張って」
3連覇の期待が膨らむ一塁側アルプススタンドも超満員。生徒たちとともに“勝利の女神”こと駒大苫小牧OGの橋本聖子参議院議員(41)も姿を見せ、声をからした。連覇した昨年は3試合、今大会も3回戦(対青森山田)以外はすべて観戦。この日で6勝0敗1分けとなった。来月上旬に3人目の赤ちゃんを出産予定の橋本議員は「北海道は盛り上がっていますよ。生まれてくる子のためにも、頑張ってほしい」と熱いエール。不敗神話の続く“勝利の女神”は、駒大苫小牧ナインにとって何より心強い存在だ。
◆日本高野連・脇村春夫会長
「乱打戦の多いこの大会で、ひときわ素晴らしい投手戦だった。球史に残る感動的な決勝戦で、まさに両チームに優勝旗をあげたい気持ちになった」









◆早実・和泉実監督(44)
「再試合は総力戦になる。向こうも強いが、うちも強いことを再確認した。斎藤には精神的なスタミナがある。あの雰囲気、あの緊張感で投げられる投手は、うちには斎藤以外、ほかにいません」