2007年05月03日 更新

やったぞ巨人、祝5000勝達成!上原が歴史作ったプロ初S

5000勝のウイニングボール。上原(右)から原監督へと手渡された

5000勝のウイニングボール。上原(右)から原監督へと手渡された

巨人5000勝達成のボードを掲げる応援スタンド。“ジャイアンツ愛”をグラウンドのG戦士に送った!

巨人5000勝達成のボードを掲げる応援スタンド。“ジャイアンツ愛”をグラウンドのG戦士に送った!

やったぞ上原!プロ初セーブで巨人軍の歴史を作った

やったぞ上原!プロ初セーブで巨人軍の歴史を作った

 (セ・リーグ、中日3−5巨人=延長十一回、5回戦、巨人3勝2敗、2日、ナゴヤドーム)エースが締めて、立ったぞ金字塔!! 巨人が2日の中日戦(ナゴヤドーム)に5−3で勝ち、1934年の球団創設からの通算勝利数を5000とした。日本プロ野球史上初の快挙を彩ったのは、延長十一回に登板の上原浩治投手(32)が9年目でマークしたプロ初セーブ。原辰徳監督(48)が復活させた強い巨人は、記念の年を優勝イヤーにする。

 渾身の力でこの日最速143キロのストレートを投げこんだ。生涯初の3連投に臨んだ背番号19の気迫に、谷繁は見逃し三振。上原が延長十一回、4時間10分の熱闘を締めくくり、通算5000勝のメモリアルをプロ初セーブで彩った。

 「野手や他の投手ががんばっていたから。喜びより、リリーフは難しいとつくづく感じました」

 延長十一回、ホリンズと高橋由の連続適時打で中日の守護神・岩瀬から3年ぶりに得点を奪った。その裏、熱投15球で3者凡退。金刃−会田−豊田−林、と続いた必勝リレーを締めくくった。

 両足のけがで出遅れた開幕直後、首脳陣に打診された抑え転向をいったん固辞したが、豊田の不調というチーム事情で了承。連投を考慮し、活性酸素を除去する大豆発酵エキスを毎朝10ミリリットル必ず飲んでいる。「自分の(本来の)立場は先発。でも短い期間とはいえ、今の立場を理解してやっています」

 エースの責任感が生み出したウイニングボール。阿部から渡された上原は、しっかりと原監督に届けた。今季29試合目で18勝を挙げ、記念の5000勝に到達。原監督は開幕前に掲げた「優勝を狙うチームとして、30試合以内に(5000勝を)つかむ」という公約を果たすことができた。

 「いい時期に5000勝というハードルを越えた気がする。巨人のスタッフには栄冠として心に残っていくと思う」。それでも指揮官は厳しい表情を崩さなかった。36年7月3日の大東京軍戦で初勝利を挙げて以来、多くの名選手が勝ち星を積み上げてきた巨人。その伝統と歴史の重みを誰よりも感じているからだ。

 原監督は81年に東海大からドラフト1位で入団。選手として1069勝、コーチで228勝、監督で240勝を挙げ、計1537勝に貢献してきた。その間、巨人の4番を「聖域」と表現し、現役引退のときは「私の夢には続きがある」と監督就任を宣言した正当な“王位継承者”なのだ。ここ4年は王座から遠ざかっているが、自分の手でチームに栄光を取り戻そうと誓っている。

 「2代、3代、4代と続いている巨人ファンの気持ちで、延長戦を勝つことができた。5000勝は通過点。さらにやっていきたい」。昨季のセ・リーグ王者、長年のライバル・中日をねじ伏せ首位を走る。5000勝の金字塔に上原という新守護神も加わり、原監督が強い巨人復活を宣言するときがやって来た。

(牧慈)

★上原復活に恩師が祝福「本当によかった」

 上原の恩師、大阪体育大・中野和彦監督(48)も、球団通算5000勝の節目で挙げた初セーブを祝福した。「まだ万全ではないでしょうが、投げられる喜びを感じているでしょう。本当によかった」。大体大時代は先発に専念していて「1度か2度、後ろで放らしたことがあるくらい」だという。

 今年の正月、上原が中野監督を訪ねた際にはけがで不本意に終わった昨年を振り返り「もう二度とけがしないように十分に注意します」と誓っていた。「その後またやりよったけどね(笑)。まだ不安はあるだろうけど、試合に放れるのが一番でしょう」。開幕からここまでチームに迷惑をかけてきた上原だが、優勝に向けてエースらしい働きをする。