苦労人・井上、フィアンセに贈る幸せの銅

井上謙二 きたぞ大穴、ダークホースが表彰台に駆け込んだ! レスリング男子フリースタイル60キロ級3位決定戦で、伏兵、井上謙二(27)=自衛隊=がワシル・フェドルイシン(ウクライナ)を延長戦で制し、6−5で逆転勝ち。銅メダルを獲得した。前日に銅メダルを獲得した55キロ級の田南部力(警視庁)に続く、連日のメダル獲り。大きな実績のない苦労人が、婚約者の目の前で歓喜の笑顔。競技の有終を締めくくった。レスリングは男女で金2、銀1、銅3の計6個のメダルを獲得した。〔写真:やったぜ! ダークーホースだった井上が銅メダル獲得。歓喜のブリッジ、ガッツポーズ=撮影・鈴木健児



 雄叫びが会場内にとどろいた。祝福に駆け寄った富山英明監督(46)に強烈タックルをぶちかます。井上が執念と強運でつかんだ銅メダル。思い切り跳びはね、全身で喜びを爆発させた。

 「攻めのレスリングを心掛けたから、監督にもタックルした!」

 3位決定戦。フェドルイシン(ウクライナ)に先制点を許し、追いついて延長戦へ。6分43秒、スタンドから押し倒して6−5で逆転勝利だ。無印、良品。ダークホースが銅メダル。「金メダルが目標だったので、ちょっと悔しい…」。

 世界選手権に出たこともない。全日本選手権での優勝もない。国際的に全く無名な男は、勝ち上がり方も劇的だった。1次リーグでは公式記録の判断ミスで一度は勝ち点で並んでいた韓国人選手が勝ち上がり、井上は7位とされ、絶望のどん底へ。ところが、一転して訂正され、異色の“生き返り”を実現させた。

 「レスリングをあきらめないでよかったです」。声が震える。満身創痍(そうい)で闘ってきた。01年に両ひざの前十字じん帯を断裂。人工じん帯に取り替えた。昨夏には先天的に腎臓が右側の一つしかないことが判明。6月下旬には鼻柱を骨折。それでも情熱は人一倍。練習は決して休まなかった。

 努力に運もついてきた。五輪2次予選第2ステージのメンバーに抜てきされて、代表デビュー。五輪出場枠を争う最後の場でいきなりで1位となった。五輪本番では1位通過ならいっきに準決勝に進める1次リーグの組み合わせも引き当てた。恋人の末次泰子さん(24)が支えだった。「ありがとうと言いたい。今は彼女のつくるサバのミソ煮に白米が食べたい」。網野高レスリング部のマネジャーだった彼女は、レスラーの心理をわかってくれる。五輪前から「婚約指輪の代わりにメダルを贈る」とプロポーズ宣言。幸せへのパスポートを、その手でつかんだ。

牧慈


井上 謙二(いのうえ・けんじ

 生まれ 1976(昭和51)年11月5日、京都・網野町(現京丹後市)生まれ。1メートル72。家族は父・幸吉さん(58)、母・和代さん(58)と姉・真由美さん(35)、兄・雄策さん(33)、姉・佳子さん(31)

 競技歴 兄の影響で小6のとき網野町にチビっ子教室をつくってもらう。網野高3年のとき高校4冠。日大4年時には全日本学生王者。その後は故障続きで全日本選手権は03年の2位が最高

 アテネへの道 今年2月のアテネ五輪第2次予選第2ステージの日本代表に抜擢され、優勝して出場権獲得。これがシニアでは始めての国際大会だった。4月の全日本選抜でも優勝してアテネ切符を獲った

 銀メダリストとも縁が 自宅と軒続きだった丹後ちりめんの織物工場が改装されて網野高の寮に。青森・八戸市から網野高に進学した女子48キロ級銀メダルの伊調千春は高校時代ここに住んでいた。日大時代は帰省の際に練習をつけたことも

 風邪対策 絶対に風邪を引かないよう、マフラーと手袋をして寝る

 通販好き 先天的に腎臓がひとつしかないため、テレビ番組で腎臓にいいと紹介していたマタマメ茶を通販で大量購入している

 長生き一家 アテネ出場権を獲得した直後の4月26日、100歳の祖父・太一さんが死去。「オリンピックってなんだ?と言ってたけど、おばあちゃんが世界の運動会だよと教えたら、喜んでくれた」。その祖母も99歳で元気だ



★そのとき★

 銅メダル! 井上が真っ先に走り出した応援席には、婚約者・末次泰子さん(24)の姿が。井上の母・和代さん(58)とともに最前列までスタンドを駆け下り、涙で「おめでとう」と手を振った。9月2日の誕生日に一足早い最高のプレゼントとなった泰子さんは、「本当によかった。肩の荷が下りた感じです」。井上の母校・網野高の後輩で、女子レスリング48キロ級で銀メダルを獲得した伊調千春が1年生の時、3年生でレスリング部のマネジャーをしていた。「周りに2人もメダリストがいるなんて…。ダブルでうれしい」と笑顔。

 ◆日大の恩師でもあるレスリング・富山英明監督 「やってくれた。何か奇跡を起こしてくれるヤツだ。銅は金と同じと書くからこれでいいです」

★銀の伊調千春「お兄ちゃん!」と声援

 レスリング女子48キロ級の銀メダリスト、「伊調姉妹」の姉・千春(22)が、井上の銅獲得をわがことのように喜んだ。網野高時代に過ごした合宿所は、井上の父、幸吉さん(58)が経営していた丹後ちりめんの織物工場を、当時の三村和人監督(44)=現宮津高教諭=が自らの手で改造したもの。井上家とは廊下でつながっており、「謙二さんはお兄ちゃんみたいな存在」と声をからして熱い声援。


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