メダルの伝統守った田南部、最後の「力」で銅

田南部力 守った、伝統のお家芸! レスリング男子フリースタイル55キロ級の3位決定戦で、日本のエース、田南部力(29)=警視庁=が、シドニー五輪銅メダルのアミラン・カンダノフ(28)=ギリシャ=を判定で破り、銅メダルを獲得した。この大会を現役最後と決めている田南部は、レスラー生活の有終を飾った。日本レスリング男子にとって今大会初のメダル。52年ヘルシンキ五輪以来、参加した13大会連続でメダルを確保。栄光の歴史が死守された。〔写真:守った、男子レスリングの伝統。田南部のガッツポーズが天を貫いた=撮影・川村寧



 両腕を突き上げる。無言で3本の指を立てた。3位だ、獲ったぞ、「銅メダル」。現役最後の試合と決めて臨んだ3位決定戦。田南部にとって、「レスラー」としての集大成。男子レスリングの伝統も、この男が守り切り、笑顔が輝いた。

 「最後なんだから悔いがないよう、楽しくやろうと思っていた。勝ったというより、これで終わったという感じ」

 互いに研究し、分析を尽くす世界最高峰の戦い。強い者は丸裸にされる。01年世界王者コントエフ(ベラルーシ)、02年世界王者モンテロ(キューバ)、03年世界王者マンスロフ(ウズベキスタン)…。元世界王者全員が1次リーグで敗退した。そのなかで、金メダルを期待された日本のエース、田南部は決勝トーナメントへ勝ち上がった。

 「見てる人がおもしろいレスリングをすれば勝てる。メダルを獲っても、つまらない試合だったら価値がない」

 1次リーグ初戦。田南部がアテネ用にあみ出し、開発した必殺技“田南部スペシャル”をさく裂させ、シドニー五輪金メダリストのアブドゥラエフ(アゼルバイジャン)を粉砕した。「自分にしかあの組み方はできない」。闘う男の強烈な自負がある。3位決定戦でもバックに回って、アンクルホールドから必殺技への攻撃を試み、7−0で完勝した。

 子供のころから派手な大技、オリジナルの技にこだわった。小さくても力持ち。北海道・岩内町で、「力」の名前のどおりに育った。北洋漁船で荒波に出る父・正一さん(62)から授かった屈強な体と負けん気。小6のときの相撲大会決勝では10キロ以上重い相手を土俵に転がして大人たちを驚かせたこともある。

 25歳で臨んだシドニー五輪では10位。99年7月に生まれた長女・夢叶(ゆめか)ちゃん(5)にはその姿をみせられた。そして、一線から退こうと、約1年間、試合にもでなかった。だが、02年7月に長男・魁星(かいせい)君(2)が誕生。「下の子にも見せてやりたい」。パパの心がアテネへ動いた。

 家族にささげるメダルは“お家芸”の窮乏をも救った。日本が戦後初の参加となった52年ヘルシンキ五輪から、半世紀。不参加のモスクワ五輪を除き、これで13大会連続でメダル獲得だ。金メダル20個を誇る栄光の歴史のなかでは、銅メダル輝きは鈍い。だが、伝統を継承し、将来へ希望をつなぐ大切なメダル…。

 99年1月に妻・千穂さん(28)と結婚して、1週間後のスパーリング中に左手の薬指を脱臼。以後、変形した指には結婚指輪がはめられなくなってしまったが、それも激戦の勲章。闘い終えた父を、夢叶ちゃんが待っていた。その手には、折り紙でつくった“金メダル”がギュッと握りしめられていた。

牧慈


田南部 力(たなべ・ちから)

 ◆生まれ 1975(昭和50)年4月20日、北海道・岩内町。29歳。1メートル61

 ◆マット歴 89年国体開催を前に町内に設立された岩内レスリング協会で競技を始める。岩見沢農高時代は54キロ級で2年連続インターハイ王者。日体大3年の96年に全日本選手権初優勝し、5度優勝。00年シドニー五輪10位。02年世界選手権6位、釜山アジア大会銀メダル。03年世界選手権7位

 ◆階級 98年警視庁へ入庁。昨年昇進して階級は巡査部長

 ◆好物 普通の米よりもち米が好き。アテネにも赤飯とおこわを大量に持ちこんだ

 ◆子煩悩 昨年の世界選手権前と今年のアテネ五輪前は全日本の「100日合宿」が東京・国立スポーツ科学センターで行われたが、妻帯者は土曜だけ帰宅OK。都内の自宅に毎週とんぼ返り

 ◆メッセージ シューズに妻・千穂さん(28)、長女・夢叶(ゆめか)ちゃん(5)、長男・魁星(かいせい)くん(2)の書いた「がんばれ」のメッセージが。試合で使うハンカチには北海道の両親をはじめとする全家族が名前を書いた



★そのとき★

 田南部の銅メダルを、夫人の千穂さん(28)は長女・夢叶(ゆめか)ちゃん(5)、長男・魁星(かいせい)ちゃん(2)と一緒にマット近くの観客席で見守った。メダルが決まると、千穂さんは涙を浮かべて「かっこよかった。本当によかったね、と声を掛けたい」。周りの応援団は「チカラ!」「チカラ!」と日の丸の小旗を振り続け、田南部の健闘を祝福した。

 ◆レスリング・和田貴広コーチ 「(0−3で敗れた)準決勝は本来の動きではなかったので、積極的にいけと言った。負けて悔しがっていたけど、生き返って実力を出してくれた」

★お家芸死守

 レスリングは新種目の女子が全階級でメダル獲得を遂げたが、男子も田南部の踏ん張りで初のメダルを獲得した。日本が戦後初の参加となった1952年ヘルシンキ五輪で石井庄八が金メダルを獲得。以後、約半世紀。不参加のモスクワ五輪を除けば、これで13大会連続でメダル獲得となった。金メダルはこれまで20個だが、88年ソウル五輪を最後に金メダルは途絶えている。女子の五輪種目入りで、男子はシドニーの8階級が7階級に減り、メダル獲得のチャンスが減った影響も大きい?

★池松は勝って終わった5位

 決勝T1回戦で敗れ、5、6位決定戦に回った66キロ級の池松和彦(日体大助手)が判定勝ち。5位となった。「勝つことが目標だから。負けて終わるよりよかった」。地元・ギリシャのタスコディスに逆転勝利し、笑顔。酪農を営む実家で幼少のころから浴びるほど牛乳を飲んで培った肉体を武器に、昨年の世界選手権では銅メダルを獲得。金を期待されての五輪だったが、「レスリングを極めるのは簡単ではないなと思った。(08年)北京? やってみたいな、くらいでは続けられない」。ゆっくりと今後の進路を考える。

★井上は準決勝進出も後味悪いゴタゴタ

 準決勝進出を決めた、男子60キロ級の井上謙二(自衛隊)の1次リーグ突破をめぐって大混乱が生じた。同6組は井上と鄭栄鎬(韓国)が勝ち点8(2勝1敗)で並んだ。この場合、直接対決の勝者が上位になるため、鄭に7−2の判定で勝っている井上が6組1位となるはずだった。

 鄭の最終戦が終わる前から、日本チームの富山英明監督と和田貴広コーチも早々と井上の準決勝進出を喜び、ミックスゾーンで取材に応じていた井上に報告。井上も「残り2試合、絶対金メダルを目標にがんばります」と喜びの会見がスタートした。

 ところが、そのころ大会組織委発表の成績表では、総得点(鄭23、井上22)で上回る鄭を準決勝進出者とし、井上を1次リーグ敗退の7位と表示。そのため、選手や日韓報道陣も情報収集で混乱した。結局、大会組織委のミスだと日本協会の福田富昭会長が抗議して、成績表の訂正を要求。これが認められ、試合終了後約1時間がたってようやく井上の準決勝進出が認められた。

★小幡は1次リーグ敗退

 男子74キロ級の小幡邦彦(綜合警備保障)は1次リーグで敗退。決勝トーナメント進出をかけ、1勝同士でフンドラ(キューバ)と対戦したが、片足タックルを防ぐことができず、得意のグラウンドに持ち込むこともできなかった。無得点での終えん。悔いの残る内容に終わり、試合後は「後にしてもらえますか」と、険しい表情で報道陣の質問をさえぎった。


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