【重量挙げ】精いっぱい、次は北京…家族ぐるみの重量挙げ三宅
ジャークの3本目は102・5キロ。練習では挙げていた重量だが、両手で差し上げることはできなかった。重量挙げ女子48キロ級で三宅は8位入賞を狙った挑戦に失敗し、両手で顔を覆って天を仰いだ。
悔いはない。7月に腰を痛めながらも必死に調整し、力は出し尽くした。「記録は低かったけど、わたしなりに精いっぱいやった」と、さわやかに笑った。1968年メキシコ五輪銅メダリストでセコンドについた父の義行コーチも「楽しみながらやってくれた」と優しいまなざしを娘に送った。
日本には、つきっきりで選手を指導できる環境がない。娘が重量挙げを始めたとき、自衛隊を退職していた義行コーチは自ら育てる決心をした。
父が重量挙げのイロハを仕込み、母の育代さんが栄養面や精神面をサポート。全日本王者の兄の敏博(自衛隊)も自分の練習の合間に妹のトレーニングを手伝った。
本人の努力に家族の協力が加わり、わずか3年で五輪出場を果たした。結果は10位だが、三宅は「いい経験ができた。これを北京につなげたい」。大きな一歩になったはずだ。
9月から北京五輪に向けて再始動する。義行コーチは「これからは他の人の指導も受けさせたい」と外国人コーチを招く考えを明かした。家族ぐるみの取り組みに、外部の力を借りて、一回り大きくなって五輪に戻ってくるつもりだ。(共同)
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