【柔道】康生に何が…! まさかの一本負け2度

井上康生 柔道男子100キロ級で金メダル本命だった井上康生(26)=綜合警備保障=が、4回戦でファンデルヘースト(オランダ)に一本負け。00年シドニー五輪に続く連覇の夢が消えた。世界選手権、五輪を通じて初めてとなる黒星。敗者復活戦でも一本負けしメダルなしに終わった。前日(18日)まで金メダル5個と絶好調だった柔道ニッポンだが、日本選手団主将が思わぬ落とし穴にはまった。マカラウ(ベラルーシ)が決勝で蒋盛晧(韓国)を破って金メダルを獲得した。〔写真:まさかの敗戦に大の字。井上の連覇の夢が消えた=撮影・尾崎修二



 最強王者が2度も沈んだ。誰もが金メダルを確信していた井上が惨敗を喫した。五輪連覇へ向けて進撃するはずが、1日2度の一本負け。メダルラッシュに沸く柔道ニッポンが、一瞬にして凍りつく悪夢が起きた。

 「こういう結果になって申し訳ありません。自分自身も残念です」

 6勝がノルマだった金メダルの道は4回戦で断たれた。日本の実業団に所属していたこともあるファンデルヘースト(オランダ)に背負い投げで一本負け。敗者復活戦も初戦でミラリエフ(アゼルバイジャン)の大内返しでまたも一本負け。「真っ白になった…」。銅にも届かない惨敗だ。

 「これが五輪の怖さ。調整、体調は万全。空回りしたのかな」。斉藤仁・全日本男子監督は、肉体的な問題を敗因にはしなかった。だが実は、アテネ入り後に右手親指に故障が発生していた。

 柔道の師である父・明さん(57)は「右手を痛めたようです。本人は電話で大丈夫だと言っていたが」と顔をしかめる。右組みの選手にとっての生命線。柔道着をしっかりつかめない。圧力をかけられない。逆に技を受ける。悪循環。負けた4回戦がいい例だ。

 道着をしっかりとつかめないまま仕掛けた内またを返され、有効を奪われた。以後、ポイントで後手にまわり、試合時間残り12秒で逆転をかけて出たところを背負われ、裏返った。不動の王者が死角をつかれた。

 4月の全日本選手権では2歳年下の鈴木桂治(平成管財)に敗れて4連覇を逃した。左ひざ、右肩を痛め体調は万全でなかったが、メンタル面の弱さに敗因を求めた。6月には初めて世界王者になったときの担当コーチだった高野裕光氏と福岡市で個人合宿。「今は極限まで精神力を鍛えないといけない。自分自身を痛めつける必要がある」と明さんに告げ、地べたを這うような1週間を過ごした。やるべきことはやってきた。ただ、それでも足りなかった。

 「この屈辱、悔しさはいまだかつて味わったことがない。これをこれから先の柔道人生のプラスにします」

 日本選手団主将。金メダル大本命。若さと勢いで頂点に上り詰めたシドニー五輪とは、重圧の度合いが違った。手負いの王者は五輪という魔物に飲まれた。でも、まだ終わらない。「技」は世界一。「体」と「心」が万全なら、再び世界の頂点に立てる。「これをプラスにして、はい上がっていきたい」。康生は屈辱を糧に、再浮上してみせる。

臼杵孝志


 井上 康生(いのうえ・こうせい) 1978(昭和53)年5月15日、宮崎市生まれ。26歳。東海大相模高→東海大→綜合警備保障。東海大大学院博士課程在学中。00年シドニー五輪100キロ超級金メダル、世界選手権は99、01、03年に3連覇。全日本選手権は01、02、03年に3連覇。得意は内また、大外刈り。1メートル83。


★康生に聞く★

 −−試合を振り返って
 「多くの人に注目してもらったのに、こういう結果に終わって申し訳ない。自分も残念です。声援を力にしたのに実力が伴わなかった。でも、ここまでの過程は間違ってないと思う。胸を張って日本に帰ります」

 −−最後の瞬間は
 「真っ白というのが一番いい言葉だと思う」

 −−対策をかなり練られていたようだが
 「それは十分に分かっていたこと。でも、対応できなかった。それも含めて実力です」

 −−今後は
 「これから先にも柔道人生があるし、人生もある。この屈辱、悔しさはいまだかつて味わったことない。これをプラスにして、はい上がっていきたい」

 ◆柔道男子・斉藤仁監督 「これが五輪なのかな。気負いがあった。まだまだ強くなるために、神様が大きな試練を与えてくれたのだと思う。康生(井上)なら乗り越えられると思う」

データBOX
井上が外国人選手に敗れたのは01年3月ミレニアム杯団体戦(ブダペスト)でコバチ(ハンガリー)に内またで敗れて以来、3年5カ月ぶり。個人戦では99年3月のハンガリー国際1回戦で同じくコバチに技ありで敗れている。

初めて世界王者となった99年バーミンガム世界選手権以降は6度目の黒星。01年のコバチ、00年全日本選手権決勝では篠原信一(100キロ超級)に優勢負け。アテネ五輪100キロ超級代表の鈴木桂治にはすべて優勢負けで3敗している。日本選手に一本負けしたのは、99年全日本選手権4回戦で三谷浩一郎の一本背負いに屈した一度だけ。



★そのとき★

 敗者復活戦で敗れた井上の姿を父・明さんは見ていなかった。そのときは席を外して会場の外。「もう気が切れていた。驚きもショックもありません。嫌なら(柔道を)やめてもいい、と言うつもりです。これは敗北感というより屈辱感です」。

 5歳のときに柔道を教え、小学4年から宝刀の内またを伝授した。『真価が問われる大会。だからこそ内またで勝ってくれ』との恒例の手紙を渡したが、内またが決まったのは3回戦の一度だけ。「一からじゃないゼロから。それでも死に物狂いでやるのなら、私も手伝います」。父はあえて突き放して、息子の再起を待つ。

■ニッポン柔道まさかの敗戦■

★神永昭夫 64年東京。正式競技となった柔道の無差別級で、全日本王者が日本柔道の威信をかけて出陣。しかし、ヘーシンク(オランダ)にけさ固めで一本負けし、銀メダルに終わった

★古賀稔彦 88年ソウル71キロ級3回戦で、平成の三四郎がテナーゼ(ソ連)に優勢で負けた。指導、効果、有効を連取される完敗だった。この屈辱が92年バルセロナの金獲得に結び付いた

★小川直也 92年バルセロナ95キロ超級決勝でハハレイシビリ(EUN)に合わせ技で一本負けし銀。96年アトランタ同級準決勝でドイエ(フランス)に優勢負け。3位決定戦でも敗れた

★田村亮子 92年バルセロナ女子48キロ級決勝でノワク(フランス)に、96年アトランタ同級決勝でケー・スンヒ(北朝鮮)にいずれも優勢負けで銀。その後、00年シドニーと今大会を連覇

★吉田秀彦★

 康生ほどの選手でも五輪の雰囲気にのみ込まれる。他の国際大会とは比較にならない重圧が“いつもの柔道”を奪い取ったのだろう。

 初戦からカタかった。しっかりと組んで投げるのが康生の持ち味だが、格が下の相手にも十分に組めないまま、焦って技を出していた。

 僕もバルセロナで勝ってからは「金」には届かなかった。アトランタ、シドニーで実感したのは、五輪は実力だけでは勝てないということ。運や経験、すべてがそろって初めて金メダルを手に入れることができる。

 康生については全く心配していなかったのでショックもある。豪快な一本勝ちで「これぞ日本柔道」というものを見せてほしかった。ただ、これが五輪の柔道。メダルを獲った選手の偉大さがさらに高まったし、康生には新たな挑戦に歩き出してほしい。

柔道家


★鈴木がカタキとる

 男子100キロ超級の鈴木桂治(平成管財)が20日に出陣。「五輪で勝つ大変さは、選手がいちばん分かっている。でも期待に応えたい気持ちはみんな同じ」と決意表明。4月の全日本選手権では決勝で井上康生を破って日本一となり、代表権を獲得。井上敗戦の屈辱を背に、最も重い階級で金メダルを獲得して、柔道ニッポン最強を証明する。


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