【柔道】「荒波」でもまれた22歳・泉、五輪初陣堂々の銀
父ちゃん、見てくれ銀メダルだ! 柔道男子90キロ級で泉浩(22)=明大=が五輪初出場で銀メダルを獲得した。準決勝で昨年の世界選手権王者・黄禧太(韓国)を逆転で破ったが、決勝ではズビャダウリ(グルジア)に敗れた。それでも日本柔道チーム最年少の新鋭が、初の大舞台で大健闘した。〔写真右:ズビャダウリの豪快なすくい投げで、畳にたたきつけられた泉。快進撃はここで止まった=撮影・塩浦孝明。同下:泉は仰向けになったまま天井をみつめた。それでも立派な銀だった=撮影・塩浦孝明〕
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畳にたたきつけられた。ズビャダウリ(グルジア)のすくい投げに屈辱の1本負けした泉は、両手で顔を覆った。「準決勝までプラスだったが、決勝で負けたらゼロ。勝たねばならないのが柔道」。痛恨の敗戦だ。
それでも、五輪初出場で準決勝では昨年の世界選手権王者の黄禧太(韓国)に優勢勝ち。快進撃にスタンドでは『第37海漁丸』の大漁旗が誇らしげに揺れた。
実家は本州最北端の青森・大間町。マグロ漁で有名な港町で父も漁業を営む。小さいころから父の船に乗り込んだ。荒海で鍛えられた強心臓。「全然緊張していません。逆に自分でも怖いくらいですね」。重圧など関係なかった。
9人兄弟の下から2番目。大家族で育った12歳の春に、決断を迫られた。9歳から始めた柔道。周囲から素質を見込まれ、東京にある柔道の私塾「講道学舎」に進むことを勧められた。
だが、義務教育を終えると船に乗るのが大間の男の暗黙のルール。「どうするんだ」と父・忠志さん(63)に迫られ、答えた。「柔道がしたい」。バルセロナ五輪金メダリストの吉田秀彦氏も汗を流した道場でけいこを重ねた。「ものにならなければ帰って、漁師になれ」が父の口癖だった。与えられた時間は10年間。必死だった。
あの約束から、ちょうど10年。この階級では日本選手初の金メダルこそ逃したものの、輝く銀メダル。「(4年後の)北京で頑張れ」。父の言葉に、また目頭が熱くなる。日本のアキレス腱(けん)といわれた90キロ級に、荒海でもまれた頼もしい新星が誕生した。
| 泉 浩(いずみ・ひろし) 1982(昭和57)年6月22日、青森県大間町生まれ。22歳。小2で柔道を始める。東京・弦巻中−世田谷学園−明大を経て来年は旭化成入社が内定。01年ベルギー国際、03年全日本選抜体重別、04年フランス国際優勝。得意技は背負い投げ。1メートル72、90キロ。 |
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★そのとき★
泉の両親は金色のマグロのイラストに『マグロ一筋』の文字が入った赤と白のTシャツを着て声援。エーゲ海をイメージした場外の畳の中に浮かぶ戦場で、銀メダルを一本釣りした息子に拍手喝さいだ。
海外旅行はともに初めて。9人の子供たちを育て上げた母・裕子さん(57)は「息子のおかげでここまで来れました。今まで自分がやってきたことを出し切ればいいと思っていた」と笑顔を見せ、生まれて初めてというパン食に戸惑っていた父・忠志さん(63)も満足そうだった。
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