【柔道】日下部2度目のメダルならず、左ひざ動かず引退へ

日下部 金メダルラッシュの柔道ニッポンに急ブレーキ!? シドニー五輪銅メダリスト、女子57級の日下部基栄(25)=福岡県警=が3回戦で一本負け、敗者復活戦でも敗れ、2大会連続のメダル獲りはならなかった。古傷のダメージもあり、現役引退を示唆した。〔写真:2大会連続のメダル獲得はならなかった日下部=右。古傷もあって、引退が濃厚だ=撮影・塩浦孝明



 歪んだ顔から涙がこぼれ落ちる。傷ついた体を必死に支えてきた心の糸が、プツンと切れた。柔道人生の総決算。日下部にとって、もう涙をこらえる必要はなかった。

 昨年の大阪世界選手権2位のベニシュ(ドイツ)に3回戦で一本負け。得意の大外刈りを返されて、抑え込まれた。敗者復活戦では指導2つを受けて敗退。古傷の左ひざが、動かなかった。「やれることはやってきた。後悔はない。この結果をしっかり受け止め、今後の人生に生かしたい」。進退の明言は避けたが、現役を退く気持ちは決まっている口調だった。

 99年に左ひざのじん帯を断裂。懸命のリハビリでシドニー五輪57キロ級で銅メダルを手にした後も、故障との闘いは続いた。「ひざの前十字じん帯がないから、周囲の筋肉を鍛えるしかないんですよ」。いまでも階段の上り下りでは痛みを感じる。

 日下部には、試合のときに持ち歩く宝物がある。昨年の全日本選抜体重別に敗れ、世界選手権(大阪)代表から落選。「引退しようかと思った」。友人が地元・福岡市内で開いてくれた残念会。集まった約30人の友だちが色紙2枚に記してくれた応援の寄せ書きには、「もう一度活躍する姿が見たい」「嫌なことがあるから、楽しいことがある」。その一つひとつが心に響いた。アテネへの力をもらって、ボロボロのひざを引きずりながら畳へ戻った。

 まだ25歳。でも、もう限界だ。スタンドで応援した父・好三さん(52)は「最後の舞台だと思う。ご苦労さん」。頑張り屋のまな娘に力いっぱい拍手を送った。

臼杵孝志


 日下部基栄(くさかべ・きえ) 1978(昭和53)年10月11日、福岡市生まれ、25歳。五輪連覇を達成した谷亮子が通っていた「東福岡柔道教室」で5歳から柔道を始め、高校も谷と同じ福岡工大付高(現福岡工大城東高)。純真女短大を経て福岡県警へ。00年シドニー五輪3位。01年世界選手権3位。00、02年福岡国際女子優勝。98、00−02年全日本選抜体重別選手権優勝。得意技は大外刈り。右組み。二段。1メートル57。


★吉田秀彦★

 実力、経験、そして運。すべてがそろわないと、メダルには届かない。五輪で勝つ難しさをあらためて感じた1日だった。ともに実力があっただけに、日下部、高松とも残念な結果だった。

 日下部は前回の銅メダル獲得以降もけがに苦しんできたから、がんばってほしい選手だった。1回戦では一本背負いを決める一本勝ち、期待も高まったが、やはり万全な状態ではなかった。銅メダリストとしての周囲の期待と、古傷を抱えたコンディションは、想像を超す重圧だったはず。これからのことは、じっくり自分で考えて決めればいい。

 高松も発熱の影響が大きかった。動いて、動いて担ぐのが、彼の持ち味だったが、キレがなかった。2人には(柔道勢)2日連続の金メダル奪取のプレッシャーも大きかったと思う。(柔道家)

★ケー・スンヒ2階級制覇ならず、日下部破ったベニシュがV

 女子57キロ級で優勝候補だったケー・スンヒ(北朝鮮)が、銀メダルに終わり、悲願の五輪2階級Vはならなかった。田村(現姓谷)亮子の金メダルの夢を砕いたアトランタ五輪当時のパワフルな柔道は健在だったが、不用意に前に出たところに、ベニシュの投げを食うなどして敗れた。

 アトランタ五輪48キロ級で金メダル。体の成長に合わせて階級をアップ。世界選手権は01年が52キロ級、03年が57キロ級で連覇した。現在は平壌体育大の研究生。昨年からは日本の地方議員に当たる地区の代議員を務め、社会的立場も得た気負いもあった様子。敗戦のショックは大きく、無言で引き揚げた。


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