【柔道】野村W「金」字塔、日本初3連覇と通算100個目
メモリアルVだ。柔道男子60キロ級で野村忠宏(29)が、アトランタ、シドニー大会に続く、日本選手初となる個人種目での五輪3連覇を達成した。28年アムステルダム大会の陸上三段跳びで織田幹雄が初の金メダルを獲得して以来、谷と野村の優勝で夏季五輪の通算金メダル数が100個の大台に達した。3連覇&100個目。野村が五輪史に残る金字塔の主役となった。〔写真:五輪3連覇の偉業を成し遂げた野村。果てしなき闘争心が、日本選手初の高みへと導いた=撮影・奈須稔〕
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圧倒的な強さで、偉業を達成した。世界の柔道家が誰も成し遂げられなかった五輪3連覇。野村は畳に身を投げ出して両手を伸ばし、瞳を閉じて勝利をかみしめた。
「きょうは試合をしていて力を感じた。いい柔道をしたと思う」
カミソリのような技のキレは、まさにニッポン柔道の醍醐味。背負い投げ、内また透かし、大内刈り…得意技で敵を次々と仰天させ、準決勝までの4試合をすべて一本勝ち。わずか計3分53秒で処理した。決勝の5分間も終始攻め続け、文句なしの勝利。1メートル64の小さな天才が、畳の上では大きく輝いた。
今月4日に、右の肋軟骨を痛めた。谷亮子の左足首負傷に注目が集まる中、野村もけがと戦っていた。試合までの10日間に完治はしなかった。右脇腹に負担のかかる左からの技が封じられ、この日の右技のみで一本勝ちの山を築いた。
「ただの事故。けがをした自分を受け入れて戦った」。手負い状態でも闘志を失わなかった。その理由は−。「金メダルをかけてもらって、君が代を歌う。一つひとつの行為が気持ちいい。五輪や世界選手権で勝つというのは特別なんです」。
シドニー五輪後に一度は引退も考えたが、柔道家の家に生まれ育った男は選手として柔の道を歩くことを決めた。そんな強い意思が一つの決断を下した。日本オリンピック委員会(JOC)は今年3月、これまで専属管理していた選手の肖像権返還を決定。選手側はJOCから離れた独自のCM活動も可能になる。05年から実施されるこの新方式も見据え、先輩柔道家の吉田秀彦氏が所属するJ−ROCKとマネジメント契約を結んだ。
「自分にとっての仕事は柔道。プロですから」。そう言い切る男はミキハウスに所属しながら、より柔道に専念できる環境を選んだ。ミキハウス側も快諾。凱旋帰国した後は新たなステージに進む。CM出演や、吉田氏のように子供たちに柔道の素晴らしさも教える活動もする。次代を担う世代に自分の闘う姿を見せたい。まだ29歳。五輪の英雄に「引退」の2文字はない。生涯一柔道家として、アスリート人生を歩んでいく。
★観客席の妻は号泣
優勝の瞬間から、観客席の妻・陽子さん(28)はただただ号泣。「最高の幸せを見せてもらいました。夢みたい。本当に勝ててよかった」と涙を流し続けた。野村が右脇腹を痛めた後は「かなりイライラして突然あたったりしたけど、見守るしかなかったです」。前回シドニー五輪は恋人として観戦。今回は妻としてアスリートの夫を支え続けた。表彰式では「野村V3」と刺繍したリストバンドをした右手を懸命に振っていた。
★そのとき★
野村の地元、奈良・広陵町では、快挙の瞬間に大歓声が沸き起こった。同町の公民館には午後十時から、実家の道場「豊徳館」に通う児童や後援会員、野村が所属するミキハウスの職員ら約500人が集まり「野村」コールを連呼した。道場の師範土居彬璋さんは「ようやった。計算された素晴らしい試合を見せてくれた。感無量です」と言葉を詰まらせた。
★男子でゴールデンスコア方式五輪初決着
両者が試合時間の5分を終了してポイントで並んだ場合に延長で勝負をつけるゴールデンスコア(GS)方式が、五輪で初めて導入された。GS方式はどちらかがポイントを挙げた時点で試合が終わる。この日は男子60キロ級の2試合がGS方式で決着し、女子48キロ級の試合はすべて5分間で勝敗が決まった。
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