【第75号】宮原厚次−フォール寸前の大ピンチしのぎ切る
(84年ロサンゼルス・レスリング・グレコローマン52キロ級)
★必殺技は俵返し
決勝のアセベス(メキシコ)戦。25歳の宮原は、第1ピリオド、バック投げで3点を先取した直後に、腕を決められ、約45秒間も押さえつけられたままマットを半周した。あわやフォール寸前の大ピンチだったが、なんとかしのいで判定勝ち。日本のグレコローマンにとって16年ぶりの金メダルを獲得した。
かつては「ポカの宮原」と呼ばれた。電光掲示板の得点を見間違い、「負けている」と攻め急いで、逆転負け。そんな苦い経験が大舞台で見事に生きた。
鹿児島・岩川高時代は柔道選手。毎朝、新聞配達のあと10キロのランニングをしたあとに登校する熱心さだったが、「柔道は最軽量でも60キロ。もっと軽いクラスのあるレスリングをやりたい」と自ら自衛隊体育学校に売り込み、ミュンヘンの銀メダリスト、平山紘一郎コーチの指導で、頭角を現した。
必殺技は俵返し。普段は銀縁メガネに優しい瞳が光るが、ひとたびマットに立つと、秘めた闘志が全身にわき出た。
「ロスは西側だけ。ソウルで真の世界一に」と、29歳でソウル五輪に出場したが、惜しくも銀に終わり引退した。
〔写真:1984年ロサンゼルス大会レスリング、グレコローマン52キロ級で優勝した宮原厚次(共同)〕
|