【第50号】中山彰規−ソ連のエースと仲良く分け合う
(68年メキシコ・体操・男子種目別・鉄棒)
★結婚に花添えた
種目別最後となる鉄棒。日本のお家芸ともいえる種目で、中山が三たび表彰台の中央に上がった。負傷で途中棄権の加藤沢男に代わって、エースとして大車輪の中山は、ここでもソ連のエース・ボローニンと一騎打ち。互いに譲らず、ともに9・80をマーク。仲良く金メダルを分け合った。
3歳で父親を亡くし、母親ひとりの手で育てられた。中3のとき、ローマ五輪団体金メダリストの竹本正男の模範演技をみて体操を志し、自ら体操部を創設。東京とは用具、指導者などで格段の差がある地方都市、名古屋で、時にはリヤカーで借りた鉄棒を運ぶという苦労を重ねながら、練習を重ねた。
大学も中京大に進学。「地方でもやればできる」という一念で五輪出場を果たし、金4銀1銅1の日本選手最多6個のメダルを獲得した。
大会直前に女子代表の香取光子と婚約。五輪後の全日本選手権では、ともに個人総合Vという離れ業で結婚に花を添えた。
〔写真:1968年メキシコ大会、体操種目別の鉄棒で優勝した中山彰規〕
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