【第1号】織田幹雄−特大の日章旗が始めてメーンポールに

(28年アムステルダム・陸上・三段跳び)

織田幹雄

 1912年の第5回ストックホルム大会に初参加してから16年後。日本選手団主将として出場した23歳の織田幹雄が、三段跳びで日本人初の金メダルを獲得した。

 8月2日、前回パリ大会6位入賞の織田は予選A組をトップで通過、決勝では2回目の跳躍で15メートル21をマークして優勝した。4位の南部忠平が組織委員会に頼みこみ、メーンポールには超特大の日章旗が掲げられた。「織田が優勝したら、この日章旗で体を包んでやれ」と日本選手団が特注していたものだった。

 当時、日本には陸上競技のコーチなどおらず、25年に早大に入学した織田は自分で練習を工夫。「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」という競技名を『三段跳び』と訳したのも織田だった。日本出発前に、当時の世界記録15メートル52に迫る15メートル41を跳んで自信をつけ、快挙につなげた。後に日本陸連名誉会長も務め、98年に93歳で死去した。


著作権、リンク、個人情報について