【体操】塚原直也、夢実現! 日本初の親子金メダル

 7大会28年ぶりに五輪金メダルを獲得した日本体操男子団体。塚原直也(27)=明治生命=は、「月面宙返り」で1976年モントリオール五輪などで金メダルを獲得した父・光男さん(56)に続き、日本初の親子金メダルを達成した。塚原親子の歴史は栄光から挫折を味わい、復活した体操ニッポンの象徴だ。〔写真右:最後の演技者・冨田=左背中=を迎える塚原は笑顔爆発=撮影・鈴木健児。同下:スタンドで大喜びする塚原の父・光男さん=右=と母・千恵子さん=共同



 スタンドで声をからしていた。体操チームリーダーを務めるのは、あの「月面宙返り」で有名な塚原光男さん。涙でかすむ視線の先には仲間と抱き合って喜ぶ長男・直也の姿があった。


 「よくがんばった。若い選手が多い中で、ひとりだけ五輪を経験していたのは大きいと思いますよ」。68年メキシコ以降、五輪3大会の団体Vに貢献、五輪金メダルを5個持つ塚原さんだが、指導者としては平たんな道のりではなかった。

 91年11月には全日本選手権で採点不満から女子選手の大半が大会をボイコットした事件の責任をとり、女子競技委員長を辞任するなど不遇の時期もあった。しかし、サッカー少年だった直也が11歳で体操に興味を持ち、自ら監督を務める朝日生命体操クラブでめきめきと成長していった。

 親子の情に流されることを嫌い、94年から友人で元ソ連のエース、ニコライ・アンドリアノフ氏に指導を託した。低迷期に現れたサラブレッドは体操ニッポン復活の期待を一身に集めたが、19歳で出場したアトランタ五輪は団体10位、個人総合12位。メダルを期待されたシドニー五輪でも個人総合18位に沈み、種目別鉄棒では落下する屈辱も味わった。

 苦悩する息子に父が手を差し伸べたのは、惨敗した02年釜山アジア大会の後。「自分にしかできない技をやれ」。息子に明確な目標を与え、日本初の親子2代金メダリストを目指すマンツーマン指導が始まった。メキシコ五輪代表の母・千恵子さんも練習後のマッサージを担当。親子3人が一丸となってアテネを目指してきた。

 「やっと獲れました。3回かかりました。団体の金メダルは体操でいちばん大きな意味がある。本当にうれしい」

 直也は最も重圧のかかる最初のゆかの一番手を任され、4種目で手堅い演技。高い技術と長い経験を金メダルに結実させた。塚原親子の歴史は、栄光→挫折→復活の体操ニッポンそのものだった。

 塚原 直也(つかはら・なおや) 1977(昭和52)年6月25日、長崎県生まれ。27歳。明大中野高−明大。朝日生命所属。11歳で体操をはじめ、五輪は96年団体10位、個人12位。00年団体4位、個人18位。1メートル65、63キロ。父・光男さんは68、72、76年五輪で金3銀1銅1。母・千恵子さんも68年五輪代表。


★日本の五輪親子メダリスト★

 過去に体操の相原親子が獲得している。父の信行は日本の団体総合5連覇が始まった60年ローマ大会の団体総合と徒手(現在の床)で金メダルを獲得するなど、通算で4個のメダルを獲得。母の俊子も64年東京大会の団体総合で銅メダリスト。遺伝子を受け継いだ息子の豊が92年バルセロナ大会の団体総合で銅メダルを獲得している。親子金メダルは塚原が初。


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