“谷間の中の谷間”那須が値千金先制ヘッド

那須大亮が先制ヘッド アテネ五輪アジア最終予選B組最終日(18日、国立ほか)。かつては『谷間の世代』と酷評されたU−23日本代表。その象徴ともいえる男、DF那須大亮(22)=横浜M=が、国立を活気づかせる先制ヘッド弾をたたき込んだ。前半12分の得点は、今回アジア最終予選での山本ジャパン最速ゴールだ。〔写真:高い、そして正確だった。雑草男のDF那須が前半12分に先制ヘッド。まさに山本ジャパンの成長の証だった

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 ただ勝ちたい。電光石火のヘッド一閃。左からのFKに合わせて、1メートル80のDF那須が勢いをつけて飛び込む。気迫のこもった火の玉のボールを叩きつけた。

 「阿部がいいボールを蹴ってくれたんで、ボクは合わせればよかった。出たくても出られない人の分もゴールという形で表せた」

 どうしても点を取らなければいけない決戦。ここまで守りに徹してきた男が、開始12分という最終予選最速タイムでゴールをこじ開けた。

 ついにつかんだアテネへの切符。いま、あのときの記憶が蘇る。02年9月の磐田合宿。磐田との練習試合で0−7の屈辱を喫した。那須も無声のピッチで無抵抗のままシュートの嵐を浴び続けた。怒声も、励ましも、指示もないチーム。「がむしゃらさを感じない。魂がない」。対戦したアトランタ五輪戦士の磐田DF田中誠に一喝された。だが、この日のピッチには大歓声にも負けない「声」があった。怒り、指示、激励。誰より熱い声の主は最後方の那須だった。

 一昨年の釜山アジア大会ではメンバー中唯一、出場機会がなかった。「谷間の世代」とやゆされる中でも、さらに埋没した1人だった。だが鹿児島実高1年時に他界した尊敬する父、鐵男さん(享年65歳)譲りの負けず嫌いの性格で、常に「最後に呼ばれればいい」と自身を鼓舞し続けてきた男のタフネスは本物だ。

 一昨年、駒大サッカー部を退部して横浜M入り。岡田監督に見いだされた昨季、ボランチに転向して才能を開花。Jリーグ新人王のタイトルを獲得し、存在をアピールした。「この予選は自信になった。まずはチームに戻ってアピールして、代表に呼ばれるようにしたいです」。ジッと耐え抜いてきた“雑草男”だからからこそ、慢心はない。「父に報告? まだアテネがありますから」。新たなる“アジアの壁”誕生へ。アテネでも日本の最終ラインを守りきる。

★那須 大亮(なす・だいすけ) 1981(昭和56)年10月10日、鹿児島県生まれ。22歳。鹿児島実高から駒大を経て横浜M入団。昨季横浜MでSBからボランチへコンバートされ、チーム最多の29試合出場。献身的な守備で年間総合Vに貢献。03年J新人王。山本ジャパンでは03年8月6日、ヨルダンA代表戦(エジプト)でデビュー。J通算32試合2得点。アテネ五輪最終予選8試合出場1得点。独身。1メートル80、75キロ。

★那須という男★

 「優しさの中に厳しさがあった」−那須にとって、亡き父、鐵男さんから受けた影響が大きいという。新人王を獲得した昨季のJリーグアウォードでは「監督、スタッフ、選手、陰から応援してくれた母。亡き父に心の底から感謝したい」とスピーチ。会場の感動を誘った。また横浜ではすでに退寮許可が出る年齢にもかかわらず「代表などで忙しくなるから」と残ったが、チーム側からも「後輩の面倒見がいいのでぜひに」と慰留されたほど。25日には駒大文学部地理学科の卒業式を控えており、「いい形で卒業式に行ければ」という願いもかなった。

★そのとき★

 那須の先制弾に、スタンドで観戦していた横浜Mの下條佳明前監督(現チーフ・プロモーションオフィサー)は「ウチに入ったときから攻撃的なヘディングをする選手だったからね」と声を弾ませた。02年釜山アジア大会では出場なしで帰国したが、「いずれは必ずレギュラーを獲ると思っていた。岡田監督にボランチを任されたことでプレーの幅も広がった。本領発揮だね」とまな弟子の雄姿に目を細めた。

★下痢第1号の茂庭は男泣き

 日本ラウンド3試合にフル出場したDF茂庭(FC東京)は「うれしいっスよ。きょうはキャバクラに行きます! いや、行かないです!!」とテンションは上がりっぱなし。試合後は阿部とともに号泣した。UAEラウンドで発症した集団下痢事件の第1号が茂庭。アテネ五輪行きが決まった今、山本ジャパンを襲った最大の事件も、笑い話となった。


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