太田雄貴、日本フェンシング界期待の若手

太田雄貴 日本フェンシング界に期待の若手が現れた。史上最年少の18歳で五輪代表に選ばれた男子フルーレの太田雄貴(18)同志社大、写真=は、京都・平安高時代から将来を嘱望されていた逸材だ。しかし、強化費不足に悩むマイナー競技の悲しさで、五輪出場に直結するW杯は両親から援助を受けての参戦。初の夢舞台は、恩返し&フェンシングの魅力をアピールする場ともなる。

★史上初のインターハイ3連覇

 目標はでっかく、日本人初の表彰台だ。18歳でつかんだ五輪切符。史上初のインターハイ3連覇、史上最年少の17歳で全日本選手権制覇など次々に記録を塗り替える太田がブチ上げた。

 「正直厳しい戦いになると思う。でも、出るからにはメダルを目指します。フェンシングのことをもっと知ってもらうためにも頑張りたい」 ゼロからのスタートだった。昨年5月に左足首じん帯4本を断裂。五輪出場は絶望的だった。しかし、必死のリハビリでわずか3カ月で復帰。10月の世界選手権では日本選手最高の26位に入り、五輪出場ランキングのポイントも初めて獲得。おぼろげながらアテネへの道が見えてきた。「そのとき残りのW杯に全部出ようと思ったんです」

 逆転を目指す戦い。だが難問があった。日本フェンシング協会の年間強化費は約5000万円、そのうちナショナルチームに割り当てられるのは約3000万円ほど。男女40人の代表候補1人分の強化費は単純計算で75万円しかない。そのためW杯の参加費は個人のほぼ全額負担が実情だ。そんなとき、父・義昭さん(51)=教員=が黙って資金を援助してくれた。太田が初めて剣を握ったのは小3のとき。高校時代にフェンシングに熱中した義昭さんの勧めだった。「その息子が試合に出たいと言えば、お金を出すのは当然。親としてこんなに嬉しいことはない」

★恩返しのアテネ

 10月から今年3月までデンマーク、ヨルダン、イタリアなど11カ国を訪れた。総費用は約200万円。太田の執念と両親の支えが大きな花を咲かせた。五輪出場が決まった後、太田は「お金、たくさん使わせたね。ごめんね」と父に頭を下げた。恩返しのアテネ。お土産はメダルしかない。

臼杵孝志

★太田 雄貴(おおた・ゆうき)
 1985(昭和60)年11月25日、滋賀・大津市生まれ、18歳。小3でフェンシングを始める。本人いわく「オヤジにテレビゲームを買ってやるから、と言われたのが最初。だまされました」。平安高でインターハイ個人3連覇、2年時には史上最年少で全日本選手権優勝。この春から同志社大に進学。家族は両親と姉、兄。1メートル70、65キロ。

★五輪日本史

 フェンシングに日本が初めて選手を派遣したのは52年ヘルシンキ大会。団体は60年ローマ大会に初参加し、女子は64年東京大会から参加。男女を通じて最高成績は東京大会男子フルーレ団体の4位。女子は84年ロサンゼルス大会でフルーレ団体が8位となったのが最高。個人は00年シドニー大会女子フルーレの新井祐子の26位が男女を通じて最高位。

★ルール

 フルーレ(有効命中面が胴体部分)、エペ(同全身)、サーブル(同上半身)の3種目が行われ、男子はいずれも個人、団体戦を実施、女子の団体戦はエペのみ。五輪は96年アトランタからトーナメント方式を採用。試合は3セットマッチ(1セット3分間)で行い、15本先取した選手が勝者となる。同点の場合はサドンデス方式の延長戦を実施する

◆アテネ五輪・フェンシング日本代表◆
種目 氏名 所属
男子 フルーレ個人 長良 将司 岐阜クラブ 27
太田 雄貴 同志社大 18
女子 フルーレ個人 菅原智恵子 宮城クラブ 27
エペ個人 原田めぐみ 山形クラブ 24
サーブル個人 久枝   円 大阪市信用金庫 25


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