ミスター苦渋の選択…アテネ五輪の現場指揮を正式断念
アテネ五輪野球日本代表の長嶋茂雄監督(68)が五輪本番で直接指揮を執ることを正式に断念した。健康上の理由から大事を取ったもので2日、東京都内のホテルで日本代表編成委員会の長船騏郎委員長が発表した。長嶋氏の監督登録は変更せず、五輪は中畑清ヘッドコーチ(50)が指揮を執る。〔写真:記者会見で頭を下げる一茂氏。長嶋家としても苦渋の選択だった。右は中畑ヘッド=撮影・浅野直哉〕
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3月に脳梗塞(こうそく)で倒れた長嶋監督は右半身のまひなどが残るものの、再発の可能性も低く、リハビリテーションは順調に進んでいる。しかし、アテネまでの長時間の飛行機移動や現地の猛暑などを考慮。医師と本人を含めた家族間で協議し、日本にとどまることを決めた。
東京女子医大病院で7月中旬に精密検査を受けたミスター。結果は良好とはいえ、医師団は最後まで慎重だった。長時間のフライトによる身体への負担に加え、現地の医療体制の不備もあり「再発のリスクは取り除けない」との見解。さらに長男の一茂氏も「行かせるわけにはいかない」と家族の気持ちを伝えた。
「(長嶋氏は)厳しい表情だった。本人は行く気満々でしたから…。ただ、落ち込むようなことはなかった」
一茂氏は医師の判断を伝えられた際のミスターの様子を振り返った。数日後、その一茂氏に「周りに迷惑をかける。中畑に指揮を執ってもらうように伝えろ」と返事をしたという。周囲はアテネ断念による意欲の低下を案じたが、1日4000−5000歩のリハビリは続いた。さらに自らの人脈を駆使して日本代表に同行するよう手配した料理人に「(自分は)行けないけど、よろしく頼むよ」と伝えるなど、ミスター流のアフターケアも忘れなかった。
「“長嶋ジャパン”として一緒に戦う気持ちに変わりはない。『長嶋監督ならどう考えるか』を頭に戦う。選手も“フォア・ザ・フラッグ”を理解している。必ず金メダルを届ける、という意識が高まると思う」
長嶋監督から指揮権を譲り受ける中畑ヘッドコーチは、ミスターのユニホームをアテネに持参する考えも明かした。試合後には電話でアドバイスも仰ぐともいう。長嶋監督の熱き思いを胸に、日の丸ナインは5日、アテネに向けて旅立つ。
【長嶋一茂さんに聞く】
−−断念を告げた際の長嶋監督の様子は
「東京女子医大で検査をし、医師の見解を父が聞いた。『(脳こうそく)再発のリスクは取り除けない。せっかくよくなっているのに』とのことだった。私も個人的な考えとして『行かせるわけにはいかない』と言った。その時点では行く気満々で、非常に厳しい顔をしていた。何日かたって“迷惑を周りにかける”と涙をのんだ。『中畑に指揮をとってもらうように伝えろ』と言われた」
−−現在は
「1日4000−5000歩歩いている。まだ右半身のまひと言語障害が見られるが、健康で、積極的にリハビリは続けている」
−−日本から指揮は
「何らかの形で“参加”できれば…。まだ試合まで猶予があるので、長船さん、中畑さんと何かできないか検討したい。試合後に中畑さんと電話でやりとりするとか、9試合ある中で父も意欲がわくのではと思う」
−−選手には
「選手の皆さまに直接話してから発表をと思っていた。4日の壮行会に私が直接出向いて謝りたい。その場で、父の意向を皆さまにお伝えできればと思う」
■五輪での日本の野球
公開競技だった1984年ロサンゼルス大会で金メダルを獲得。88年ソウルでは決勝で米国に敗れ、2位だった。正式競技に採用されたバルセロナでは準決勝で台湾に屈して3位。アトランタはキューバに及ばず銀メダル。初のプロアマ合同チームで臨んだシドニーでは準決勝でキューバ、3位決定戦でも韓国に黒星を喫し、初のメダルなしの屈辱を味わった。 |
★中畑ヘッド「監督の意思、意向は理解している」
長嶋監督から五輪での指揮を託された日本代表の中畑清ヘッドコーチ(50)はさすがに緊張ぎみで「指揮を執ったことはないので不安はあります」と心境を語った。長嶋監督とは昭和51年に巨人に入団してからの師弟関係。平成5年から巨人打撃コーチ、そして今回の日本代表ヘッドコーチと“ミスターの名代”として、これまでの役割を果たしてきた。「長嶋監督の意思、意向は理解している。国民の方々が期待している結果(金メダル)を取ってきたい」と決意を口にした。
◆日本代表編成委員会・長船騏郎委員長(80) 「一茂さんと相談の上、医師との決定を受けて(長嶋氏が)アテネ五輪の指揮を執ることを断念した。登録は抹消しない。中畑君には監督代行ではなく、ヘッドコーチのまま指揮を執ってもらう」
◆ダイエー・王監督 「残念だけどこればかりは仕方ない。ここまで長嶋さんが盛り上げてくれた。いざ試合となればやるのは選手。日の丸を背負っているし、一致団結して頑張ってほしい」
◆長嶋監督から代表チームの主将に任命されたヤクルト・宮本 「ベンチにいなくても、僕らは長嶋監督に選んでもらったメンバーなので一緒に戦うという気持ちをもってやりたい。(代表には)責任はいっぱいありますが、長嶋監督のために金メダルを取るというのも加わった。いい報告ができるようにしたい」
◆巨人・高橋由 「グラウンドに一緒に立てることが一番という思いがありましたが、やはり残念ですね。ただ、監督の体のことを考えれば、治療に専念してほしいというのが正直な気持ち。代表としての使命感を強く持ち、国民の期待に応えることはもとより、監督の意思を受け継ぎ、メダルを勝ち取るために全力で戦ってきます」
◆中日・福留 「せっかく予選を戦ったのにとても残念。監督にいい報告ができるように頑張ります」
◆中日・岩瀬 「長嶋監督の体調のことなので無理はしてほしくない。僕たちはとにかく一生懸命頑張るだけ」
◆ダイエー・城島 「最もアテネに思いを寄せていたのは長嶋監督だと思いますし、自分たちはその集大成として監督の思いとともに、金メダルを獲るために全力で戦うだけです」
◆ダイエー・和田 「とにかく僕らは、帰国して、長嶋監督にいい報告ができるようにがんばります」
◆近鉄・中村 「体のことなので仕方ない。アテネでは監督不在ですが、長嶋ジャパンの気持ちで戦いたい」
◆近鉄・岩隈 「長嶋監督の下でプレーしたことはないですが、体のことは心配。監督不在ですがいい報告をできればいい」
◆オリックス・谷 「残念。監督がいると選手も元気になるし、勇気が出るので本当は一緒に行きたかった」
◆西武・和田 「去年の予選で監督のアテネへの思いは相当なものだと感じていた。まだ先はあるし、体が一番。監督のためにも金メダルを獲って報告したい」
| 【ミスター・アテネ断念までの経過】 |
| ★3月4日 |
都内の自宅でめまいを訴え、緊急入院。検査の結果、「脳卒中の疑い」 |
| ★同5日 |
「左大脳の中程度の脳梗塞(こうそく)」と発表 |
| ★同26日 |
本格的なリハビリ開始のため、東京女子医大病院から転院 |
| ★同31日 |
五輪日本代表1次登録リストに監督として登録 |
| ★4月12日 |
都内の病院を退院。一茂氏は「リハビリの方がはるかに長くつらい」と五輪指揮に見通しが立っていないことを明らかに |
| ★5月10日 |
長船委員長が陣容を変更しないことをスタッフ会議で確認。「(アテネに)背負ってでもいく」 |
| ★6月4日 |
一茂氏が会見。「私の気持ちは前回と同じ。無理してほしくない」としながら「アテネに行くか、行かないかは本人が判断できる。ギリギリまで待ってあげたい」 |
| ★同25日 |
日本代表24選手を正式発表。ファクスで「聖地アテネの空に日の丸を掲げてくれると信じています」とのコメントを発表 |
| ★7月13、14日 |
右半身にまひが残っている状態のため、キューバとの壮行試合視察は大事をとって見送られた。リハビリは依然継続し、試合前に一茂氏を通じ『君たちは私の意志を継いだ伝道師だ』と選手に熱きメッセージ |
| ★同20日 |
日本オリンピック委員会(JOC)が、アテネ五輪組織委員会に選手団名簿を提出。最終登録として正式に「長嶋監督」が決定 |
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