| 長嶋ジャパンの歩み |
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| 2002年12月2日 | 長嶋茂雄氏が日本代表監督に就任。「五輪の聖地アテネにぜひ日の丸を掲げたい」 |
| 03年7月9日 | 日本代表編成委員会で中畑清氏のヘッド兼打撃コーチ、大野豊氏の投手コーチ、高木豊氏の守備走塁コーチの就任が決定 |
| 同11月5〜7日 | 五輪地区予選を兼ねたアジア選手権で中国(13−1)、台湾(9−0)、韓国(2−0)を下し、3戦全勝で6大会連続の五輪出場権を獲得 |
| 04年1月5日 | 長嶋監督が1球団2人までとする代表派遣枠の拡大を正式要請する意向を明かす |
| 同22日 | 長嶋監督が派遣枠の拡大を断念 |
| 同3月4日 | 長嶋氏が自宅でめまいを訴え、都内の病院に緊急入院 |
| 同5日 | 検査の結果「左大脳の中程度の脳梗塞(こうそく)」と発表。関係者を通じて「私がいなくても選考会議を」と病床から五輪スタッフ会議の決行を指揮 |
| 同31日 | 五輪日本代表1次登録リストに長嶋氏を監督として登録 |
| 同6月24日 | 日本代表24選手発表。長嶋監督は「聖地アテネの空に日の丸を掲げてくれると信じています」とのコメントを発表 |
| 同7月13、14日 | 長嶋監督の壮行試合(キューバ戦)視察が見送りに。試合前に一茂氏を通じて『君たちは私の意志を継いだ伝道師だ』と選手にメッセージを伝える。試合結果は1分け1敗(第1戦1−1、第2戦5−6)とキューバに惜敗 |
| 同8月2日 | 長嶋監督がアテネ五輪で現地指揮を執らないことを正式発表。中畑ヘッドコーチが代わりに指揮を執ることに |
| 同4日 | 日本代表24選手が千葉県成田市のホテルに集合。長嶋監督の直筆による背番号「3」が入った日の丸と各選手へのメッセージが、一茂氏によって代表チームに渡された |
| 同5日 | 日本代表チームが合宿地のイタリア・パルマに出発 |
| 同11日 | アテネ入り |