笑顔と涙と、長嶋ジャパン晴れやかな銅

城島を笑顔で迎える日本ベンチ 長嶋ジャパンが銅メダルで幕を下ろした。野球3位決定戦で日本はカナダと対戦し11−2で快勝。目標の優勝はならなかったが、日本選手団として84年ロサンゼルス大会の32個を抜いて五輪史上最多となる33個目のメダル獲得を果たし、有終の美を飾った。日本国内で脳梗塞(こうそく)のリハビリを続ける長嶋茂雄監督(68)の夢を乗せた“ドリームチーム”は、今大会限りで解散。日本球界は08年北京五輪に向け、新たな歩みを始める。〔写真右:一回、先制2ランを放った城島を笑顔で迎える日本ベンチ。長嶋ジャパンは銅メダル獲得で有終の美を飾った=撮影・塩浦孝明。同下:戦いは終わった。銅メダルを獲得した日本代表は、日の丸と長嶋監督のユニホームを中心に、集合写真に収まった=撮影・尾崎修二



 完結した。長嶋ジャパン24戦士が刻み続けたアテネ物語。結果は銅メダルだった。だが、下を向く者は誰1人としていなかった。8月25日午後2時20分、晴天。緑の天然芝の上で、ともに抱き合い、ともに泣いた。


 「最高の形で終わることができました。結果はついてこなかったけれど、精いっぱいやった。前回は悔し涙だったけど、今回はうれしさも入っていると思う。前回とは違う涙です」

 赤く目を腫らした松坂(西武)は、胸にこみ上げた4年間の思いを一気に吐露した。前回シドニー大会では3位決定戦の韓国戦で負け投手。メダルの夢を閉ざされ、1人涙した。あれから4年。「リベンジじゃない。成長した自分を見てほしい」。17日のキューバ戦で五輪初勝利。敗れはしたが、準決勝の豪州戦でも粘りの投球を見せた。平成の怪物は、2度目の大舞台でさらなる進化を遂げた。

 長嶋監督の下、史上初めて実現したプロ単独の“ドリームチーム”。誰もが勝つのが当然と考える中、見えない呪縛(じゅばく)、襲い掛かる重圧…。3人のコーチ陣は常に胃薬を服用した。環境の違いから岩隈(近鉄)、金子(日本ハム)らが風邪で次々とダウンした。底を付くテーピングと湿布薬…。それでも、満身創痍(そうい)の選手たちは、誰もグチをこぼさなかった。『フォア・ザ・フラッグ』は、24戦士の心の支えだった。

 準決勝で痛恨の敗戦を喫し、日本中が待ち望んでいた金メダルを逃した前夜、病と戦う長嶋監督から檄文(げきぶん)が届けられた。『勝っておごらず、負けて腐らず。諸君たちのためのオリンピックだったと思うために有終の美を飾ってください』。松坂は言った。「監督のメッセージでチームが一つになれた。違う結果で報告したかったけど、精いっぱいやったと分かってくれると思う」。

銅メダルを獲得した日本代表 4年前のシドニーで号泣した中村(近鉄)は、宮本(ヤクルト)と抱き合い喜びを爆発させた。「4年間は長かった。金に等しい銅です。完全燃焼しました」。五輪用に打撃を改造するなど、メダルへの執着心を持ち続けたノリも、長嶋監督の使命を帯びた『伝道師』の1人だった。

 3位決定戦ではカナダを13安打11得点で粉砕した。「これがアピールできる最後の舞台。単なる3位決定戦じゃない!」。試合前のバスで主将の宮本は大声で訴えた。残されたプロの意地、日本代表としての誇りを身体の奥から搾り出した。

 満願成就は果たせなかった。だが、日本で一戦を見守った長嶋監督は、ベンチにかけられた背番号「3」のユニホームにナインが触れるのを見て目を細め、試合後は「私の中には金メダル以上のものがいくつかあります」と最大級の賛辞を贈った。ありがとう、長嶋ジャパン。夢がある限り、人はさらに大きく成長するから…。

山田貴史


★長嶋監督のメッセージ

 アテネでの長い戦い、本当にお疲れさまでした。けが人も多数出ていると聞いています。みんなボロボロになるまで、よく戦い抜いてくれた。きのう(24日)の負けを引きずらず、きょう(25日)有終の美を飾れたことは、諸君たちの精神力の高さの証明です。この精神は、日本のファンの方たちが見ていました。

 今大会、私の中には金メダル以上のものがいくつかあります。

 キューバに勝ち、日本プロ野球のレベルの高さを世界に示せたこと。日本のファンの方たちが野球というスポーツを通じて一喜一憂したこと。チーム間の壁を超えて本当に一つにまとまってくれたこと。そして一番は、諸君たちが得たものです。これは誰もが得られるものではありません。諸君たちは今回、アテネで得たものを決して忘れてはなりません。

 野球というスポーツの楽しさを再認識してくれたファンもたくさんいることでしょう。日本へは胸を張って帰ってきてください。本当によくやってくれた。

 最後に今回、私はアテネに行くことはできませんでしたが、日本チームを応援していただいた、たくさんのファンの皆様、応援ありがとうございました。また、日本チームを陰から支えてくれたスタッフの皆様、お疲れさまでした。感謝しております。

(カナダ戦後、長男の一茂氏が代筆し、代表宿舎にファクスで送った)


★打ちまくった宮本、主将の喜び

 1次リーグで打率.517を誇った主将の宮本(ヤクルト)は、この日も2安打を放ち、銅メダル獲得に貢献した。「金メダルを狙いたかったし、十分狙えるメンバーでしたが(試合前に)責任を全うしようとみんなで話したんです」。主将として重圧も受けたが「このメンバーの中でキャプテンをやれる喜びもあった」と振り返った。

★谷は夫婦メダル

 谷(オリックス)が、柔道女子48キロ級優勝の妻・亮子(トヨタ自動車)とともに五輪史上3組目の夫婦メダルに輝いた。24日の豪州戦で右足首をねんざし、この日の3位決定戦を欠場。ベンチで敗戦を見守り「負けたらプラスにならない。悔しさだけが残る。満足はできない」と心情を吐露した。また、すでに帰国した亮子は、福岡市内で「一生の思い出。夫にはお疲れさまといいたい」と話した。

データBOX
野球が獲得した銅メダルで、今大会における日本の総メダル数が33個(金15、銀8、銅10)に到達。84年ロサンゼルス大会の32個(金10、銀8、銅14)を抜いて歴代1位に躍り出た。

メダル別では、金15個は64年東京大会の16個に次ぐ2位、銀8個は56年メルボルン大会の10個に次ぐ2位タイ、銅10個は84年ロサンゼルス大会の14個、92年バルセロナ大会の11個に次ぐ3位タイとなっている。

この活躍で、日本オリンピック委員会(JOC)から支給される報奨金(メダリスト1人につき金300万円、銀200万円、銅100万円)の総額が制度導入後4大会目で1億3100万円と史上初めて1億の大台を突破した。

谷佳知は柔道女子48キロ級優勝の谷と夫婦でメダルを獲得。過去には体操で2組(相原豊・俊子、小野喬・清子)あるだけで、異競技では史上初の偉業となった。



 ◆中畑清ヘッドコーチ 「選手はすべての力を出し切ってくれた。大きいもの(金メダル)を取れなかったのはわたしの責任。長嶋監督は野球の伝道師になってくれと望んでいたが、選手は最高の姿を見せてくれた」

 ◆大野投手コーチ 「和田(毅)は最初から飛ばしたが、しっかりゲームをつくってくれた。打線も援護してくれて、チーム一丸で戦ってくれた。強いチームです。上原、松坂も加え3本柱がきっちり機能してくれた」

 ◆和田(西武) 「結果が金メダルじゃなかったのが悲しい。個人的なことより、チームが金を取れなかったことが悔しい」

 ◆福留(中日) 「目指していたものを達成できなかったが、誰ひとりとして気を抜いた人間はいない」

 ◆小笠原(日本ハム) 「最後に勝って締めたかった。責任を全うしたかった。このメンバーで最後に勝てたのは本当にうれしい」

 ◆木村(広島) 「これだけのメンバーの中で、自分が出る時は厳しい状況の時だと思っていた。合宿の時に(けがで)みんなに迷惑をかけたので、打てて本当によかった」

長嶋ジャパンの歩み
2002年12月2日長嶋茂雄氏が日本代表監督に就任。「五輪の聖地アテネにぜひ日の丸を掲げたい」
03年7月9日日本代表編成委員会で中畑清氏のヘッド兼打撃コーチ、大野豊氏の投手コーチ、高木豊氏の守備走塁コーチの就任が決定
同11月5〜7日五輪地区予選を兼ねたアジア選手権で中国(13−1)、台湾(9−0)、韓国(2−0)を下し、3戦全勝で6大会連続の五輪出場権を獲得
04年1月5日長嶋監督が1球団2人までとする代表派遣枠の拡大を正式要請する意向を明かす
同22日長嶋監督が派遣枠の拡大を断念
同3月4日長嶋氏が自宅でめまいを訴え、都内の病院に緊急入院
同5日検査の結果「左大脳の中程度の脳梗塞(こうそく)」と発表。関係者を通じて「私がいなくても選考会議を」と病床から五輪スタッフ会議の決行を指揮
同31日五輪日本代表1次登録リストに長嶋氏を監督として登録
同6月24日日本代表24選手発表。長嶋監督は「聖地アテネの空に日の丸を掲げてくれると信じています」とのコメントを発表
同7月13、14日長嶋監督の壮行試合(キューバ戦)視察が見送りに。試合前に一茂氏を通じて『君たちは私の意志を継いだ伝道師だ』と選手にメッセージを伝える。試合結果は1分け1敗(第1戦1−1、第2戦5−6)とキューバに惜敗
同8月2日長嶋監督がアテネ五輪で現地指揮を執らないことを正式発表。中畑ヘッドコーチが代わりに指揮を執ることに
同4日日本代表24選手が千葉県成田市のホテルに集合。長嶋監督の直筆による背番号「3」が入った日の丸と各選手へのメッセージが、一茂氏によって代表チームに渡された
同5日日本代表チームが合宿地のイタリア・パルマに出発
同11日アテネ入り


★小早川毅彦★

 五輪の最後に、長嶋ジャパン会心の戦いを見せてくれました。選手やコーチは試合前、異口同音に「きょう(25日)負けると何も残らない。何か結果を残して帰る」と話していたものです。プロ・アマ混成だった前回シドニー大会はメダルなしに終わりましたが、長嶋監督から送られていた「有終の美を」のメッセージ通り、銅メダルを獲得してくれました。

 メダルの色は当初の目標とは違ってしまいましたが、堂々と胸を張って帰国してほしい。ただ、今後に向けて反省点もあります。たとえば日本は1次リーグで全試合を勝ちにいっていたようですが、五輪という大舞台での戦い方としてはどうか。全部トップスピードで駆け抜けようとすると、バテがくるものです。

 また、選手がバットやヘルメットなどの道具運びから打撃練習中の球拾いまで、すべてこなしていました。試合に集中してもらうためには、せめて制限エリア以外ではサポートスタッフのさらなる充実、増員を考えてほしかったと思います。

 五輪期間中、国内プロリーグを中断してアテネに全精力を注いだ台湾に対し、日本のプロ野球はペナントレースを続行しました。1球団2人という選手枠の問題を含め、“ドリームチーム”をつくるためには日本の現状からいって仕方ない部分もある。ただ、4年後の北京大会で金メダルを手にするには、何をするべきか、もう今から考えないといけません。

サンケイスポーツ専属評論家


★赤飯で慰労会

 3位決定戦で勝利を収めた長嶋ジャパン。宿舎に戻った選手、スタッフが参加してミーティングを兼ねた食事会が開かれ、中畑ヘッドコーチが「銅メダルだったけど、これは金と同じ価値がある」と労をねぎらった。食卓には赤飯と尾頭付きの鯛が振舞われ、2大会ぶりのメダル獲得を祝った。

★日本球界の声

 ◆根来泰周プロ野球コミッショナー 「準決勝は残念だった。中畑や松坂の顔を見た時、心中を察し、涙が出てきた。あんまりプレッシャーをかけ過ぎた。勝負は時の運、不運。結果が金であろうと、銅であろうと、みんな一生懸命やったんやから、ちゃんと迎えてやることは大事だと思う」

 ◆巨人・清原 「あれだけの選手が必死になって取ったメダルです。プロを代表していったメンバーですから、よく頑張ったと思います」

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