★渋井9位号泣「力不足でした」、鼻炎気味で集中力欠く
その走りに、優勝した3年前の輝きはなかった。2時間33分2秒で9位に沈んだ渋井は「力不足でした」と、つぶやくのが精いっぱい。五輪出場が絶望となり、涙が止まらなかった。
周囲の期待が集まる中、鼻炎気味の渋井はレース前から明らかに集中力を欠いていた。何度も前へ出ようと試みるが、いずれも中途半端に終わった。鈴木監督が「まったく予想していなかった」というスローな展開にも戸惑った。勝負の仕掛け所を完全に見失い、ずるずると後退した。
初マラソンとなった2001年の大阪国際で優勝。自己ベストは高橋、野口に次ぐ日本歴代3位の実力者。昨年は故障に泣いたが、秋以降の調子は上向きだった。「アテネる」を合言葉に、五輪出場へ燃えた渋井。夢の実現は08年北京大会へ持ち越された。
〔写真:9位の惨敗に号泣する渋井=撮影・加藤孝規〕
★35歳弘山5位「スッキリ」
35歳の弘山は27キロ手前の千葉の仕掛けについていけず、5位に終わった。「ペースが上がったときに、足が重くて対応できなかった」。4年前の大阪で2秒差の2位と惜敗し、シドニー五輪代表を逸した悔しさを晴らせなかったが「スッキリしている。ここまで自分なりに精いっぱいやってきた」。夫の勉コーチも「これが最後のマラソンかも」と話し、マラソンでは一線を退く考え。今後は「日本選手権はきっちり走りたい」と、1万メートルでアテネを目指す。
〔写真:5位でゴールした弘山は夫でコーチの勉さん(左)に支えられる〕
★一般参加&初マラソンの那須川4位と大健闘
一般参加で初マラソンの那須川が4位と大健闘。「前に何人いるのかわからなかった。信じられない」と、無邪気に喜んだ。高橋と同じく佐倉ACの小出代表の指導を受ける24歳。1万メートルや5000メートルなどのトラック競技に必要なスタミナを養う目的でマラソンにも挑んだが、本人も驚きの好成績となった。今後は「トラックでしっかりした記録を出せたら、また挑戦したい」と声を弾ませていた。
●総評・桜井 孝次(日本陸連専務理事、大会委員長)
マラソンの厳しさ、難しさを改めて痛感した。スタート時の気温が3・8度の低温と冷たい風に加え、五輪選考レースという精神的なプレッシャー。肉体的、精神的に厳しいレースとなった。
誰もが勝つことを考えているから悪コンディションの中、あえてリスクを冒して前半から飛び出そうという選手はいなかった。ただ、これだけ記録を持ったメンバーがそろっているのだから、もう少し速い展開を期待していたことは事実だ。
後半勝負に各選手が徹したレースは、きっちりと力を蓄えていた坂本が制した。初マラソンだった昨年の大会で3位に入った坂本には、世界選手権も経験したこの1年間の大きな成長を感じた。27キロ付近で千葉が先頭集団から飛び出したが、この仕掛けを実にうまく利用して、自らのスパートのきっかけにした。
千葉には、坂本に勝てるという意識があったかもしれない。しかし、短期間で急成長した坂本の力の方が上回っていた。30キロからの5キロを15分47秒、次の5キロも16分30秒でカバー。勝負どころで見せたこのスピードは、世界の舞台でも十分に通用する。