ミラクル金に“亜衣争奪戦”が始まった
“ミラクル”アイちゃん争奪戦が、始まった。20日の女子800メートル自由形決勝で、ラスト50メートルで驚異的な追い上げをみせた柴田亜衣(22)=鹿屋体大=が、8分24秒54で、金メダルに輝いた。日本の競泳女子自由形でのメダル獲得は史上初めての歴史的快挙。国内でも無名に近かった選手が一夜にして、世界の主役へ。シンデレラ誕生に、行政からは栄誉賞贈呈が早くも殺到、コマーシャル起用など周囲もいっきにヒートアップ。アイちゃんに「プロスイマー」の道も開けてきた。〔写真右:8分間の奇跡。柴田が日本競泳女子自由形で初のメダル獲得、しかも金! アテネの水からシンデレラが誕生だ=AP。同下=ラスト50メートルのロケット・スパートは圧巻だった=撮影・奈須稔〕
◇
やっと実感がわいてきた。表彰台に上って、柴田の目から初めて涙がこぼれた。白い八重歯を輝かせて、泣き笑いしながら手を振る。歓喜ととまどい。無理もない。世界中の誰もが、本人すらも驚いた、劇的金メダル。柴田亜衣。つい8分ほど前まで、だれも注目していなかったスイマーが、世界の頂点に立った。
「自分でもビックリしてるから、周りはもっとビックリしてると思いますよ」。
過去、日本選手がメダルに手をかけたことのなかった種目で、しかも、金メダル。ラスト50メートルでロケット・スパートは、鮮やかで衝撃度満点だった。03年に世界選手権代表になったが、日本の女王・山田沙知子(コナミスポーツ)の常に陰に隠れた存在に過ぎなかった。身長1メートル76の大型スイマーは、選手生命をかけてこの五輪に取り組んだ。最大酸素摂取量は体重1キロ辺り50ミリリットルで「選手としてはごく普通」(同コーチ)。3月の米国での高地合宿では25メートル息継ぎなしのダッシュや、限界まで息継ぎを減らす特訓。1回9000メートルを泳ぎ込み、限界まで体を痛めつけた。田中孝夫コーチ(56)は「選手生命が終わるかもしれない過酷な練習だった」。
周囲の反応も熱い。柴田が小、中、高時代を過ごした徳島県・飯泉嘉門知事は21日、「国民に夢と希望を与えていただいたことは郷土の誇り」と、県民栄誉賞を贈る検討に入った。一方、柴田が在籍する鹿屋体大がある鹿児島も負けじと、同等の県民栄誉表彰を検討。さらに、同県鹿屋市も名誉市民表彰を贈る協議に入った。複数の県から異例の表彰贈呈の争奪戦が巻き起こった。
大学4年。進路は決めずに五輪に出た。「まだ決めてない。(水泳を)続けるかどうかも含めて」(同コーチ)。結果しだいでは、水泳をやめるという選択肢もあった。だが、こうなった以上、新たな世界が目の前に広がる。CM界でもアイちゃんに熱視線だ。CMの研究・分析で知られるCM総合研究所の関根建男代表(64)は「今回の五輪選手の中でも、すい星ように現れた鮮度がある。表情がチャーミング、インタビューの対応や涙の姿も好感度。最高のCM価値がある」と太鼓判。CM出演料は1000万円単位が一流タレントの相場というが、「彼女は最初からこのランクでしょう」。
となれば、全面的に企業のサポートを受ける“プロスイマー”転向も現実味をおびてくる。フェルプスやソープ、日本では北島のように、水泳に専念し、極める道。スポンサー争奪戦も目にみえている。「チャンピオン? プレッシャーになるので、考えないようにします」と苦笑い。たとえ、どんな難関があっても、柴田ならヒョイと乗り越えてしまいそう。可能性は無限大。もう、柴田亜衣の名前を知らない者は誰もいない。
★亜衣ちゃんに聞く★
−−どんな作戦で臨んだ
「前半は(先行する)マナドゥ(フランス)の腰か、脚が見える範囲につけ、持ちこたえられればと思っていた。600メートルくらいで追いついてきた。だんだん力がわいてきた」
−−逆転の場面は
「750メートルで捕らえたのがわかった。外国勢は最後の50メートルが速い。わたしはスピードが出ないので、とにかくがむしゃらに手を回して脚を打った」
−−急成長の要因は
「五輪に出たいという高い気持ちを持って練習してきた。選考会でいいタイムが出て、もしかしたらメダルを獲れるかもと思った。それからはメダルを獲るという意識で練習してきた。自分を信じてやってきてよかった」
★レースVTR★
準決勝3番手の柴田は第3コース。序盤から飛び出したマナドゥに食らい付く。それでもジワジワと引き離され、450メートル付近では最大2秒半以上の差がついた。2位をキープしたまま後半へ。マナドゥの50メートルラップタイムが32秒中盤に落ちたのに対し、柴田は31秒台をキープした。750メートルのターンで並ぶと、あとは一気。最後は0秒42引き離してゴール。ラスト50メートルのラップは29秒39と、8選手中最速。まさに驚異のスパートだった。
★データBOX★
▼柴田が獲得した金メダルは競泳女子史上で4個目。36年ベルリン大会200メートル平泳ぎの前畑秀子、72年ミュンヘン大会100メートルバタフライの青木まゆみ、92年バルセロナ大会200メートル平泳ぎの岩崎恭子に続いて3大会12年ぶり。
▼00年シドニー大会までの女子自由形の入賞者は5人で計7回。36年ベルリン大会400メートルの小島一枝、92年バルセロナ大会200メートルの千葉すずの6位が最高位と世界の壁は厚かったが、今大会の柴田が400メートル5位でまず更新。800メートルで金字塔を打ち立てた。
▼20日時点の競泳の獲得メダル数は7で、56年メルボルン、60年ローマ両大会の5を超える戦後最多。金メダル数3も72年ミュンヘン大会の2を超える戦後最多。史上最多は32年ロサンゼルス大会で、金5個、合計で12個を獲得している。
★競泳のプロ★
ソープやフェルプスは、水泳での知名度を生かして、スポーツ用品メーカーなどのスポンサーとタイアップ。その契約金を収入としている。賞金レースもあるが、水泳の場合は規模や回数はそれほど多くないため、それだけで生活していくのは難しい。日本では北島のように、肖像権を自身で使用できるように認可を得て、CM等に出演している選手を、通常「プロ」という。
★徳島&鹿児島から「W県民栄誉賞」?
日本女子競泳では初めて自由形のメダルを獲得した金メダリスト、柴田亜衣(22)=鹿屋体大。ゆかりある徳島、鹿児島の両県では21日、競い合うように県民栄誉賞の授与を検討を明らかにしたが、これだけで“亜衣フィーバー”はおさまらない。
いっきにシンデレラストーリーの最終階段まで駆け上がった22歳の素朴な女の子は、いまや“スーパースター”。柴田の金メダル獲得を受け、練習拠点を置く鹿屋市が敏感に反応した。
市役所では午前10時から、約150人の市民の前で垂れ幕を披露。大歓声と拍手に包まれ、一気に祝福ムードが盛り上がった。凱旋パレード、祝勝会の実施が決定。さらに、市長経験者以外では初の鹿屋市民表彰贈呈を検討しており、地元商工会では名物の黒豚1頭をプレゼントする。
市内もすでに“亜衣フィーバ”一色だ。柴田が通う鹿屋体大では、銅像設立プランが持ち上がった。
西日本一のバラ園として名高い「霧島ケ丘公園」は、今年度中にも五輪ロードを着工する。柴田のモニュメント像、手形を飾る予定で、永久に快挙が語り継がれる。
一方、小学2年から高校まで育った徳島県も負けてはいない。県庁の外の電光掲示板では、この日から今月末まで「金メダルおめでとう」とのメッセージを流す。母校の穴吹高では、モニュメント像の設置が具体化した。同校にはプールがなく、柴田は当時「OKSS脇町」に所属、利用していたが、一部関係者から記念プール竣工を求める声も上がっている。エーゲ海の青色に金色の模様を入れた、その名も『ゴールドメダルプール』だ。
同高の内藤哲也教頭(55)は「朝から柴田の話題ばかり。まさか、金メダルを獲るとは。100年に1度、あるか、ないかのことです」。オラが街のヒロインの登場が、一大ムーブメントを巻き起こす。
|