女性お笑いトリオ、ぼる塾がファーストピッチセレモニーに登場。あんり㊨は藤本監督(左)のものまねで盛り上げた (日本生命セ・パ交流戦、ソフトバンク1-0阪神、2回戦、1勝1敗、8日、ペイペイD)ペイペイドームのマウンドで奮投する20歳の若武者・西純を眺めながら、日本中の虎党が「点、取ってやれよ」とつぶやかれたことだろう。記者席のトラ番キャップ・長友孝輔も同じ思い。ただ、同時に別の思案もしていた。
ソフトバンク・藤本博史監督「そろそろ、準備に入らなくてはいけないなぁ、と頭の片隅で思ってました」
交流戦で首位争いを繰り広げている。悲願の初優勝も夢物語ではなくなってきた。読者に、ド派手な優勝紙面をお届けするのは、阪神取材に携わる全サンスポ社員の使命でもある。
阪神が最も交流戦優勝に近づいたのは2008年。ソフトバンクと同率になり、〝規定〟により2位となった。
実は昨年も2位だったことを、意外に覚えていない方が多い。なぜか? といえば、阪神は最後の日本ハム、楽天6連戦を6連勝。猛烈に追い上げたのだが、安定した戦いを繰り広げたオリックスは、最終日を待たずに優勝を決めていた。つまり、実質的に阪神はV争いに加わっていない。だから、希薄なんだろう。
交流戦初年度(05年)、2年目(06年)も終盤まで優勝の可能性はあったが、最終戦を前に脱落している。両年ともに3位でフィニッシュだった。
正真正銘、優勝しかけた08年を振り返ろう。最終戦の日本ハムに勝って、あとはソフトバンクが負ければ悲願の優勝…。当時のトラ番たちが甲子園のプレスルームで、巨人vsソフトバンク戦を固唾をのんで見守った記憶は鮮明だ。結果はソフトバンクが辛勝して、交流戦V。トラ番キャップは現文化報道部長・大澤謙一郎だった。時は流れて、昨夜は紙面総括席に。
「あの年の交流戦は試合後、すぐに東マネジャー(当時)が携帯電話で他球場の結果を確認して『ハイ、中日が負けた!』とみんなに伝えてました。落合竜と激しく争っていた時期でしたから」
スマホではなく携帯電話というのが、時代を感じさせる。
「もし、優勝したらどんな紙面にするかで、バタバタの日々。就任直後の坂井オーナー(当時)に『交流戦Vセールしませんか?』と尋ねて、アッサリ却下されました」
いつの時代もキャップは大変だ。
ちなみに、この年の同率の場合の順位決定方法には、今でも納得がいっていない。前年順位で決める〝規定〟だったのだ。なぜ〝別のチーム〟といってもいい、前の年の成績が反映されるんや、と憤ったもんだ。
現在は当該チームの対戦成績が最優先。これを08年に当てはめると、虎はあの年、3勝1敗で鷹に勝ち越していた。つまり…。言っても詮ないが、「幻の優勝」だ。
14年の歳月が流れて、巡ってきたチャンス。悔しい完封負けだ。一方、京セラドームのヤクルトは逆転勝ち。1ゲーム差をつけられた。
でも、開幕からひたすら最下位に沈み続けたチームが、突然の優勝騒ぎ。日本プロ野球の不思議な仕組みに感謝しましょう。
ちなみに、DeNAが負けたので、もし阪神が勝っていれば最下位脱出だった。優勝や! と叫びながら、最下位脱出を願う。混乱してきた。優勝紙面も準備もしなければ…。あぁ、ややこしい。