巨人・槙原寛己投手(左)の敬遠球を左前に強打する阪神・新庄剛志外野手(右)=1999年6月2日撮影 日本ハムの新監督に就任した新庄剛志氏(49)を阪神時代に担当したサンケイスポーツ・上田雅昭編集委員(59)が当時の思い出を語った。伝説の裏に、たゆまぬ努力あり!?
■絶対に監督タイプではない…四半世紀経過して大いに反省 「僕が監督だったら、あそこはヒッティングなんですよ」
阪神時代の新庄が大マジで話したことがある。送りバントのサインなのに、フルスイングして凡退した試合後のことだった。どう考えてもサインの見落としだが、翌日も「僕が監督なら…」と、まだ言い張っていた。
監督になれるはずがないやろ、と言ったら「えっ、信じてないの?」とバカにしたように言ってきた。四半世紀経過して大いに反省している。まさか、こんな日が来るとは…。
プロ野球記者として何百人取材したことか。その中で、絶対に監督タイプではないと確信したのは新庄だ。
マイペースすぎる。全員が制服スーツで移動なのに、ひとり、黄色や純白のスーツで現れた。
頑固すぎる。監督が嫌いだからと移籍を求め、聞き入れられないと分かると「センスがないから辞める」と引退宣言。最も理解不能で、破天荒な選手だった。
■どんな環境でも成功してしまう勝負強さ でも、不思議なぐらいに自分の思い通りに物事が進む。神様が味方をしているかのように。
ある練習日。打撃ケージでクソボールを飛びつきながら打っていた。理由を聞いても教えてくれない。そのわずか2日後、巨人戦でのあの歴史的な「敬遠球サヨナラヒット」が生まれる。「実は練習してたんですよ」-。
FA宣言して、阪神が白紙の小切手を提示しても断ってメジャーへ。オファーが来ることも驚きだったし、海を渡っても、なぜか活躍してしまう。どんな環境でも、成功してしまう、あの勝負強さ(運の強さ?)はあきれるばかり。驚くばかり。
監督になっても、彼なら思い通りに事が運ぶのでは、と思えてくるから不思議だ。(編集委員)